定年後の読書ノート
日本の歴史、「日本」とは何かA、網野善彦著、講談社
網野史学は、宮本常一氏と同じ根を持っておられ、最初あまりにも、話は穏やかに、かつよもやま話みたいな話題から語られるので、読者は歴史の必然性や歴史を動かす社会・経済的動向をおろそかして、一体何を見つめようとするのかといったじれったさを実感する。網野史学からは歴史の迫力という感動は感じない。

第3章、3:「日本国」と列島の諸地域 を読む。最初に、9世紀の日本では、列島の自然と社会の関わり、諸地域の特質を考えなければならないとある。北の内海世界、伊勢湾の内海、武総の内海、瀬戸内海の世界等々各地域の9世紀後半の生き生きとした海陸交通の様相が語られる。なるほど、いままで見過ごしてきた、日本各地の海陸、山間各地の庶民の活力が見えてくる。しかし故意にか、中央権力の動きなどは、全然テーマになっていない。こんな視点が網野史学の問題点のひとつだと思う。

曰く「日本国」による画一的な国制は、この国家の強烈な意志によって、約百年は本州の大部分、四国・九州と周辺の島々をおおったかに見えたことは間違いない。しかしこうした列島諸地域の個性はそれによって窒息するどころか、むしろ国家の支配による刺激を得てさらに強靭になり(この言葉は、内田先生が現代資本主義ポジティブな側面にも使った言葉)、国家の規制が弱体化しはじめた9世紀後半には、それぞれの地域が独自に動きはじめた。そして10世紀初頭の最後の律令制回復をめざした国制改革をこえると、もはや否応なしに地域を基盤とした諸地域を基盤とした諸勢力が時代の表面に姿を表し、「日本国」は分裂する気配を見せはじめる。と網野先生は説く。要するに律令制の崩壊と、地方権力の台頭を網野史学ではこういう書き方をされる。

平将門は自らを「新皇」と称し、下総に王城を置き、京都天皇の日本国に対し、「新皇」の坂東と称したが、国家支配者としての国家の軸である時間を改称する「歴博士」設置まではとうとう最後まで出来なかった。もし彼が2ヶ月の短命に終らなければ、日本国の国制も大きく変っていたであろうと網野先生は仮想する。同じ頃、藤原純友は伊予を根拠とし、朝鮮半島から中国大陸を視野にいれて、弛緩した日本国の枠を超えようとしていた。

南方では、奄美島の人々が、大隅国を襲い、東の王権としての源頼朝は、京都の王朝から自立し、大君と呼ばれていた。この時代の地域呼称を網野先生は、詳細に追求していく。坂東・奥羽・東国・関東・関西・中国・西国・九州・鎮西・四国・北国等々これらの地域名称がこの時代から公式文書に記載されてくる背景から、この当時、日本は分裂の状態にあったことを立証していく。

こうした分立する小国家を豊臣秀吉は、再統一を実現した。しかし秀吉の統一達成は、反面、秀吉に誇大妄想ともいうべき世界帝国を目指した侵略・征服を企図させ、朝鮮に対する無法な侵略を強行したのである。この秀吉を滅ぼして、再統一された日本国を支配した江戸幕府は、海禁を徹底しつつ、国内の充実を図っていく。

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