定年後の読書ノート
トルストイの復活を読んで、北御門二郎著、東海大学出版会
この本の訳者北御門二郎氏の略歴。1913年熊本県に生まれる。1933年東京帝国大学英文科入学。1936年ロシア語勉学のためハルピンに渡る。1938年徴兵拒否。東大も中退する。以来熊本県球磨郡水上村湯山で農業をしながらトルストイの研究、翻訳に生涯をかける。

北御門氏のトルストイ訳の素晴らしさは、短編民話「人は何で生きるか」で、他者訳と比較してはっきりと解った。北御門氏はトルストイの思想を我々に伝えようと一生懸命になって生涯をこの目的に捧げられた人である。北御門氏の情熱がこの人の翻訳から切々と読む者に伝わって来る。この人の名訳でトルストイをもっと読みたいと思った。そして探し、この度東海大学出版会発行「復活」を探し出すことが出来た。何故トルストイは「復活」というタイトルを付けたか、それはこの本の最終章第3編28章にある。聖書マタイ伝18章、「天に入るは、幼児の如くあれ」の言葉に始る聖書の教えにこの本のタイトルは基いている。

人は謙虚な気持ちになればなるだけ、心の和みと生の喜びが感じられる。聖書に書かれている教えとは、最初奇怪に思われるかも知れないが、次第にその人の人生経験に照らし、聖書の教えこそ真理であると人は気が付いていく。

すなわち人々が苦しみから脱出出来る唯一の道とは、自分には他人を罰する資格はないのだと自覚することから始るのだ。「常に、何人をも限りなく赦せ」この言葉の持つ意味はそういうことだ。

貴方は考える、物事はそんなに簡単ではないと。しかしキリストの教えは最初異様に見えるかも知れないが、キリストの教えこそ疑う余地のない真実ではなかろうか。一般に社会には秩序というものが維持されているが、これは人々が互いに憐れみ会い、愛しあうからに他ならない。聖書マタイ伝第5章、山上の垂訓は人類社会の秩序維持の基本ではないか。人々が聖書の教えに従って生きることが出来れば、人類はどんなに素晴らしい未来生活を招来することができようぞ。聖書の教えを、あらためて理解して欲しい。聖書の教えを実践することによって、人間生活は合理的意義が生まれてくるのです。

我々がこの世に生を受けたのは、何等かの目的があってのことではないでしょうか。しかし一人一人は自らの快楽の為に生きることが最も合理的だと決め込んでいる。我々は我々をこの世に送り込んだ主人=神の意志に従って、地上に神の国を作ることこそが大切ではないでしょうか。

新しい生活はここから始ります。新しい生活とは、身に起こる一切の事柄が、以前と全く違った意味を持つようになってきます。自らの生涯におけるこの新発足が、果たして如何なる首尾に終るのであろうかーそれはただ、未来が示すであろう。―1999年。終り。記 トルストイ。

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