定年後の読書ノートより
自動車絶望工場―ある季節工の日記―鎌田慧、講談社文庫
随分以前のことだが、息子の高校夏休み課題図書にこの「自動車絶望工場」が指定されていたことを思い出した。この地でトヨタを真正面から批判したこの本を課題図書に選択した高校教師の気骨ある教育指導に陰ながら拍手を送った。その後、その教師がどうなったかは知らない。

ルポライター鎌田慧氏は、弘前高校卒業後、東京に出て、機械工、印刷工、編集者等幾つかの現場経験を経て早大文学部に学ぶ。その間都電争議、九州炭坑閉鎖、原子力発電所等の幾つかの現地ルポルタージュを重ね、作家花田清輝に傾倒・師事。34歳の時、青森県出身の季節工として、豊田市にあるトヨタ自動車本社工場第5機械工場233組トランスミッション組立てコンベアラインにて6ヶ月間働き、その経験を日記形式でルポルタージュしたのが「自動車絶望工場」である。

本書の前半は6ヶ月間の現場作業日記、後半はトヨタ式合理化方式の歴史記事から成立っている。歴史記事で面白いのは昭和25年の豊田自動車大争議の顛末であり、あれから50年、かっての労組幹部はこぞって会社幹部になっていることは注目される。

また現地収集資料に基くトヨタにおける身分制度、提案制度、生産システムの問題点は今読んでも参考になる。最後にトヨタ創立秘話が記載されている。すなわち豊田自動織機がプラット社から得た特許料100万円を研究資金として自動車工業に進出する有名なサクセスストーリ。このトヨタ創業秘話は、豊田佐吉、豊田喜一郎を結ぶ感動ストリーとして、豊田産業技術記念館創設の際にも、「物づくりの大切さ」をアピールする基本サクセスストリーとして、博物館コンセプトになっている。

ルポルタージュとしての鎌田氏6ヶ月間の作業日記は、現場の機械油の匂いまでが漂ってくる極めて臨場感にあふれた現場報告である。しかし、これを読んで、天下のトヨタ自動車で働いてみようと決意する人は激減するどころか、トヨタに嫌悪感さえ持つ人が多くなるのではないかと心配する。この本を読んだ高校生達がどんな読後感を寄せたのか知りたいものだ。

現代最先端工場の作業現場で遭遇する人間疎外の深刻な問題をここまでリアルに表現出来た作品は他にあまりないのではないか。さすが、硬派ルポルタージュだと感心した。しかし、この作品によって現場作業は暗いというイメージが植え付けられるとすれば、物づくりの大切さをテーマとしてきた技術者の一人としていささか、このルポルタージュには好感が寄せられない。

すなわち、この本でも主要テーマに取り上げている労働現場における人間疎外の問題に関しては、トヨタはトヨタなりに真剣に取り組んでいると思う。労働者の動機づけを重んじようとする職場改善提案、目的と結果を明確に関連づけるTQC全社取り組み、環境重視のISO14000、作業現場の環境改善を目的とする5S運動、これらの最新の経営管理手法は確かに一定の効果をあげてきたことは事実である。しかし一方では相変わらず現場作業員のしらけムードは避けられない。「ホンネとタテマエがあまりにも遊離してしまっている」と彼等は常にささやいている。

自分は生産工学部門を専門とする技術士として、こうした現場問題を真剣にコンサルタントすべき資格保持者の1人ではあるが、正直に言って、自分自身こうした労働現場における人間疎外の問題をどう解決すべきか、未だ自信ある回答はつかめていない。

しかし、自分には40年の作業現場から一つの信念がある。それは現場は感情を持つ人間の集まりだから、大切なのは矢張り人間そのものだという簡単な信念。職場でのやる気とは、自分の仕事を誰かが正しく評価してくれている、信頼出来る誰かが自分の仕事ぶりをじっと見てくれていると信じること、信じられること、職場では、というより人間にはこれが何よりも大切ではないかと自分は信じている。

この鎌田氏のルポルタージュの中でもその一端は描かれている。安全講話で食事時間におくれた部下達に、自分の財布から2千円を出して、「皆にパンを買って来てくれ」と自腹をきった課長の話。「わしはあの課長のために働くのだ」と語る現場作業員。「あの課長ならば信頼できる。」とつぶやく現場作業員。

この信頼感こそが、何よりも労働の動機づけになる。これが私の生産管理の基本哲学です。こんなウエットな、情緒的な技術コンサルタントは、競争に勝つことだけを常に考えているクライアントはきっと満足しないだろう思う。だから自分は、生産管理の技術コンサルタントという道は自ら閉ざし、決して技術コンサルタントとして、旗上げしようなどとは考えていない

自分ももう64才になった。幾つもの仮面を被って、現場労働者に、人間疎外の解消を目指した、姑息な経営管理手法を唱え続ける程、あつかましく生きなければならない必要も今はない。

ただ、鎌田氏のルポルタージュから受けるトヨタへの暗いイメージ普及には、いささか異を唱えたい。鎌田氏の論理の延長線上には、現場否定、生産否定、労働否定しか無いような、すなわち資本主義下の生産工場は全部駄目との烙印押しばかりが目立つ印象ばかりを受ける。

例え厳しい労働現場であろうとも、物づくりへの情熱は大切にしたい。すでに過去の話にはなるが、かって自分も参観したことがある社会主義諸国の工場現場には、資本主義国家と比較にならない程、厳しい労働者いじめの現場が幾つも存在していたし、市場経済になった今日でも、社会主義諸国の労働者は、現代世界産業の標準的な作業環境に追いついていけいが故に、経済的にも随分苦労していることを、昨年も、旧ソ連圏内諸国を訪問して実感してきたばかりである。それだけに、鎌田氏に申し上げたい、体制否定ばかりが、こうした作業現場における人間疎外問題への解決法ではない

しかし、同時にこのルポルタージュ後半に出てくるように、“アカ”の“スパイ”を現場に近づけまいとする会社側労務部保安課の対応挙動には、なんともいえない怒りを感じ、結局思想的対立こそが、現場における対決問題の基本姿勢なのかと実感してしまう。

しかし、例え思想的対立は認めても、本件の労働疎外問題の解決に関しては、鎌田氏が主張するように、全ての悪は資本主義にあるとする考え方は間違いだと思う。すなわちコンベアベルトラインでの現場単調作業労働における人間疎外の問題は、もっともっと人間存在の奥深いところに根ざしている問題であり、これは鎌田氏の如き、現場否定の発想だけではとても解決には及びつかないし、当然ながら、否定ばかりが、我々の進むべき道ではないと信じる。

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