定年後の読書ノート

国境を越えるユートピア、加藤哲郎著、平凡社リブラリー
加藤哲郎先生は、「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」というHPを開いておられ、以前、小生のHP「定年後に読む資本論」をリンクしご紹介頂き、その節は加藤先生からメールまで頂き恐縮している。

本書はソ連崩壊後公開された極秘内部資料を元に粛清された革命家、国東定洞東大助教授や須藤政尾氏をはじめ、50名を越す革命家の人生と粛清の恐怖を追跡調査、彼等が超えようとした「国家」とは何であったかを明らかにしていくドキュメント。

ソ連社会主義は、<社会主義>という名の国家主義であった。社会主義はフランス革命が夢見た自由・平等・友愛の実現化を求める思想であった。理念実現の道は、生産手段国有化・プロレタリア独裁という観念が結びついている。

しかし、ソ連国家主義では、ブルジョア議会制に対するゾビエット制度、階級矛盾の存在する資本主義のもとでの多党制に対する労働者国家の単一政党制、無政府的生産・市場競争で不可避の危機と恐慌にいたる資本主義市場経済と国有化・集権的指導による社会主義経済が、対比的にイメージされ、デモクラシーさえも、「ブルジョア民主主義」対「プロレタリア民主主義」の階級対立図式に還元され、共産党による一党独裁の合理化、権力分立の否定、地方自治の実質的否定までが正当化された。

それらすべてが、科学を潜称する国家宗教と化したマルクス・レーニン主義のイデオロギーで合理化され、疑問や異論は「反国家=反社会主義」として抑圧された。政治的決定の主体はすべて党だった。党は単一の民主集中性という鉄の規律を持つ軍隊型組織であった。党は民族ばかりではなく、国民国家を超えるものと想定された。

ソ連型社会主義は、近代国民国家一般としても、きわめて風通しの悪い、ストレス過剰の閉鎖的システムだった。制度疲労に陥っていた。外部からの資本や情報を応急的にカンフル注射したペレストロイカによっても、もはや手のほどこしようのない病状に陥っていた。そして、1991年、解体して、永眠した。

その間、大量生産・大量消費、ケインズ式福祉国家、法人資本主義や小集団管理の普及による新たな国民国家的統合を経験してきた資本主義の流れと、ソ連社会主義は相補的であった。その意味では、明らかに資本主義世界システムと没交渉ではなかった。そして今、資本の流通・生産の世界化=多国籍企業とグローバリゼーションが、マルクス・レーニン主義的「プロレタリア国際主義」とは全く別なかたちで、国民国家の壁を破り始めている。

非常にショッキングな1冊であるが、現世界体制をここまで簡潔に総括した本はまだない。

ここをクリックすると目録に戻ります