定年後の読書ノートより
現代アフリカ入門、勝俣 誠 、岩波新書
1991年発行の岩波新書。かって自分の知るアフリカとは植民地からの独立の渦の中にあった。第2次世界大戦では、アフリカ植民地からの出征兵士戦死者は、28、600人にものぼり、アフリカ植民地は戦争貢献を大きな理由に独立を要求し、独立は宗主国からの離別でもあった。

あれから30年が過ぎた。アフリカのエリート達は、アフリカ独立の理想像は、今やアフリカ内戦の影に消えてしまったのか。

アフリカ・ギニアのセク・トゥーレ大統領は社会主義に基く新興立国をかかげ、かっては帝国主義を激しく糾弾し、アフリカ諸国民憧れの象徴でもあった。しかし内実は理想国家どころか、恥ずべき独裁立国に過ぎなかった。

すなわち、ギニア大統領の裏側には、政治犯に対する苛酷な拷問、監獄の地獄があった。監獄の所長は、大統領の甥が牛耳っていた。ギニアの監獄ポワロ・キャンプには、1回収容されたら、死亡しない限りでられない「モルグ」と称する監獄があった。アフリカ統一機構(OAU)初代事務総長であり、第3世界のリーダと言われたギニアのテリ・ディアロもこの監獄で、2週間、光の全くない独房で、食糧も与えられず、虐殺された。

ギニアの人口500万人のうち200万人近くが、セネガルやコートジボアールなどの近隣諸国に難民となって流出した。いずれにせよ、これらアフリカ型社会主義の最大の悲劇は、単なる独裁国であったのみならず、人々の基本的人権は踏みにじられ、国の富の生産増加は望まれなかったのみならず、停滞・退歩するのみという悲劇的状況しかなかった。

あれから30年、今日ほど、国際社会においてアフリカの地位が低下した時代はない。世界経済の構造変化によって、アフリカで産出する石油以外の1次産品市況は低迷し、アフリカは資源市場としてよりも、北の援助によってかろうじて、生き延びている国と化してしまっている。

同時代の人間として、アフリカ社会の問題はアフリカ人によってのみ解決すべきとして距離を置くことはできない。何故ならば、この大陸に注ぎ込まれた開発援助が、しばしば本来民衆の手によって交替させられるべき独裁政権を逆に延命することに貢献したことは事実であり、北の国々は、アフリカの貧困問題に正面から取り組もうとしなかった結果が逆に今こそ大きな負担となってきていることを知るべきである。

この本の中に、アパルトヘイトを鋭い感性で描写したアメリカの新聞記者ジョセフ・リリーベルトの記事がある。ある白人の番犬に噛み付かれた黒人の記事である。

「2匹のブリテリアが鎖をひきちぎって召し使いの20歳の黒人女性をかみ殺したという記事が朝刊に載ると、その2頭を買いたい譲って欲しいという白人からの電話が動物虐待防止協会に殺到したという。

おまけに殺された女性の雇い主は、召し使いの名前を知らなかったとのこと)」

ここをクリックすると目録に戻ります