定年後の読書ノートより

キリスト教の精神とその運命(1)W.F.ヘーゲル著、平凡社ライブラリー

第1章ユダヤ民俗の精神と運命、ユダヤ教の精神

前史―ノアとニムロデ

旧約聖書に記されたユダヤ民族とユダヤ教の精神、その思索。自然はかって人類にとって親しみある穏やかな対象だった。しかし、人類と自然との均衡は破れ、自然の暴威は、ノアの洪水を契機に、敵対的な関係に変化した。人類は自然とどんな関係を築いたか。ノアは、絶対の神に人類と自然を委ねた。ニムロデは、人間自身が、自然を権力で支配しようとした。人類と自然の間の関係には、歓びと楽しみ、愛の講和と美しき和解は無かった。

始祖アブラハムーユダヤ民族の精神

アブラハムを民族の最初の始祖とさせた最初の行為は離反である。共同生活の絆を絶ち、愛の絆を絶ち、自然との関係を絶つことだった。アブラハムは地上の異分子であり、異邦人であった。彼が抱く神性の理念の根底にあるものは、全世界に対する侮蔑にほかならなかった。自ら唯一の神とし、ユダヤ国民だけが、唯一の神をいただく唯一の国民だった。

アブラハムの子孫たちーユダヤ民族の運命の出現

アブラハムの子孫たちは、彼等自身に力が十分に備わっていた場合だけ、実に情け容赦なく、一切の生命を根絶やしにするような、まことに不快きわまる苛酷きわまる暴虐非道によって支配した。それは悪魔のような残忍な仕打ちで復讐をとげた。

ヘーゲルのこの記述、なんと今日のパレスチナ問題に通ずるものがあることよ

継承者モーセ

ユダヤの民のエジプトの圧制への憎しみとか、解放と自由への憧れが、解放への行動を立ち上げたのではなかった。奇跡がユダヤの民を信じさせた。民は奴隷であった。受動的な民であった。孤立的安穏への期待、これが奴隷的境遇からの解放である。

この間の思索はヘーゲルの弁証法として、非常に難解で、容易に理解出来ない。

その後のユダヤ民族の運命

今日置かれているユダヤ民族の、惨めな、卑しい、憐れむべき状態、これはすべて、彼等の根源的な運命の結果である。彼等は、美の精神によってこの運命を和解させ、この和解によってそれを止揚しない限りは、このような運命の仕打ちはどこまでも続くであろう。

非常に難解かつ観念的なヘーゲルの著作を取り上げて、ほぼ1年をかけて、毎月哲学セミナーにて、購読が進んでいく。自分は、その講義録を聞きながら、皆の後から、ゆっくりとついていく。

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