定年後の読書ノート
トルストイの民話版画集、北御門二郎訳、地の塩書房
昨日「人は何で生きるか」を筑摩世界文学全集<北垣信行訳・木村彰一訳>で読んだ。本日、北御門二郎氏の訳で、トルストイ民話集<地の塩書房社>を読んだ。この民話集の中には、昨日読んだ「人は何で生きるか」も入っている。念の為、読み比べてみると訳が全然違う。勿論その結果トルストイが何を言おうとしているか、理解もすっかり違うことが良く判った。この民話集の「人は何で生きるか」には、最後に天使の述懐があり、ここですごく大切な言葉が出てくる。所が昨日筑摩書房では理解困難だった微妙なニュアンスの訳は実に北御門氏の訳は理解し易い。哲学的に充分考え抜かれて訳されている

「人の中には何があるのか?は以前に私は知ったのですが、今度は、人に与えられていないものは何か?が判りました。人々に与えられていないものは、自分達の身体の為に何が必要か?という知識なのです。でも全部わかってしまったわけではありません。私はまだ、人間が何によって生きるのか?ということを悟ることが出来ませんでした。

私は全ての人は我が身についての配慮によってではなく、愛によって生きることを悟りました。私が人間であったとき、生きることができたのは、私が我が身について気を配ったからではなくて、通りかかった男やその妻の心に愛があり、彼らが私に憐れみ愛してくれたからです。

神は人間がてんでんばらばらに生きることをお望みならず、むしろ人々が合一して生きることをお望みなので、そのため各人には、自分のために何が必要かを啓示なさらず、全ての人々に、自分にとっても、万人にとっても必要なものを啓示されたのだ、ということです。人々は、我が身についての配慮によって生きているように思うのは、ほんの錯覚にすぎず、本当は、ただ愛のみによっていきるのだ、ということを悟りました。愛の中にあるものは神の中にあり、神もまた、その人の中にある。なぜなら神は愛であるから。」

実に内容をきちんと掴みきって訳されておられる。筑摩文学全集の北垣信行氏の訳とは全然違う。外国文学はきちんとした訳で読まないと理解の深さが全く違ってくると解った。

この民話集の中には、「人は何で生きるか」の外、本日読んだ「イワンの馬鹿」「火の不始末は大火のもと」「愛ある所に神あり」「2老人」「人に沢山の土地がいるか」等が版画と共に掲載されている。

この本の北御門二郎氏こそ、20才で徴兵を拒否し、人里離れた熊本の山中で、トルストイの翻訳に生涯をかけておられる方。自分はこれ以降、トルストイは北御門氏が翻訳されたものだけを読んで行きたい。北御門二郎氏の訳には、トルストイの哲学がそのまま生きている。素晴らしい翻訳者だ。

868-07熊本県球磨郡水上村湯山 北御門二郎氏

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