定年後の読書ノートより
怠け数学者の記、小平邦彦、岩波現代文庫
最近数学に熱中しているオヤジの後ろ姿を見て、息子曰く、「お父さん、定年後の身で、どうしてそんなに数学に熱中するの?」。応えて曰く。「世の中、思い付きで書きなぐる学者と言われる反共評論家が沢山いてね、しっかりと自分の哲学を武装していないと、あいつらの思うつぼに引き込まれてしまうからね」といささか抽象的な我が数学論を述べてみても、息子は何のことやらと、きょとんとしている。

この本の中にある「一数学者の妄想」という小平邦彦先生の短編エッセイは素晴らしい。その原文から引用。

数学は自然哲学に実に不思議なほど、役に立つ。しかも多くの場合、自然哲学の理論に必要な数学はその理論が発見されるはるか以前に予め数学者によって準備されていたのである。

そのよい例は、アインシュタインの一般相対論におけるリーマン空間であろう。しかもリーマンは、われわれの住んでいる空間が果たしてユークリッド空間であるか。曲率をもったリーマン空間であるかは、実測によらなければ分からない、と言って一般相対論を予言しているのである

相対論は全くアインシュタインの幾何学的世界観に基く天才的洞察の産物である。一般に特殊相対論はアインシュタインがマイケルソンーモーレーの実験の結果に基いて発見したと思われているようであるが、実際は実験とは独立に発見したのである。さらに一般相対論に至っては純粋な思考実験だけによって発見されたものであって、アインシュタインはその実験的検証には全然興味を示さなかったということである。

それが現在に至るまであらゆる実験的検証に対して何等の破綻を示さないのは実に驚くべきことである。特に最近の観測の結果によれば、一般相対論の基本方程式の数学的解に現れる奇怪なブラック・ホールがどうも実存するらしいといわれる。

数学がこのように自然科学の役に立つのは何故か?

勿論数学は自然科学を記述する言葉であると言って片ずけてしまえばそれまでである。例えば一般相対論におけるリーマン空間の役割は、一種の言葉であると言えるかもしれないが、しかし量子力学においては数学が全く神秘的魔法的な役割を演じるのであって、到底単なる言葉とは考えられない。

この本には、小平先生の鋭い眼が光る素晴らしいエッセイが沢山載せられている。そして矢張りそうかと意を強くする小平哲学が次々と登場してきて楽しい。

今、世界は見えにくいと言われている。確かに価値観の多元化による、従来の考え方がそのまま通じない場面が一杯ある。しかし、大切なのは、その根本に流れる哲学は何かである。この一番のポイントをいつもきちんと見通せる目を持つ為に、我々は数学の世界からもっともっと学ばねばならないと思う。

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