定年後の読書ノートより
「無言館」への旅、―戦没画学生巡礼記―窪島誠一郎、小沢書店
ちょうど今、高浜市やきものの里、かわら美術館、無言館コレクション戦没画学生「いのちの絵」展から帰ってきたところです。ウイークデイの火曜日の午前中にもかかわらず、そしてすでにこの企画が始って1ヶ月も経過したというのに、会場は一杯のお客さんでした。

大半のお客さんは60才以上のご老人。どの顔も絵の前に無言で立ち尽くし、戦争で奪われた大切な命を忍び、画面横に小さく紹介された製作ストーリを読みながら声を詰まらせる。昭和19年、せまり来る日本の敗戦を目の前にして、心ならずも死んでいった画学生達。彼等のひたむきな青春の全てを打込んで描きあげた1枚の絵の中には、生きるということのもう一つの意味を私達に語りかけてくれる何かがある。

「皆真面目に生きたのだな」。彼等の達筆な手紙を見ながら、同行した加納氏もつぶやいていた。展示された作品も立派だが、青年たちの人物像を忍ぶ手紙や、スケッチブックも胸を打つ。

この本は、絵画塾講師である伊藤氏から借りた。氏は7月11日朝日新聞夕刊紙上に「鑑賞が楽しみな戦没画学生遺作展」と題する投書を載せている。高浜に展示される生きることに精一杯の状況下で生まれた作品群によせる、我々市民の期待を伊藤氏は新聞に的確に書いている。

窪島誠一郎氏が、野見山暁治氏と共に、全国を行脚し、画学生の遺作を1点づつ、集めて歩いた記録が本書「「無言館」への旅」である

ここには、若くして死んでいった息子や兄弟、夫や父を慕う遺族の方々の切々たる思いがなまなましくつづられている。アジアや中国の地に、権力を伸ばそうとした帝国主義日本の憎むべき国家権力。ただひたすらに美しさとは何かを求め1枚の絵を描きあげて戦地へ出発していった若き青年たち。そして戦後50年、今はかえらぬ故人を忍び、今日まで生き延びてきた人々のストーリ。そしてこのストーリを意識しながら遺作を1点1点集めて全国を歩いた野見山氏や窪島氏の努力は、確かに胸をうつものがある。

戦争、それは国家権力のむき出しの暴力である。戦争は、国民を有無を言わさず戦場に送りこむ。これは国家権力のむき出しの暴力であり、この仕組み、この恐ろしさは、平和な今日から見つめれば、想像を絶するものがある。

NGO活動、結構。しかし、国民の善意の心をどれほどボランティアなる美名で結集しようとも、国家権力の暴力機構にとってそれは痛くもかゆくもない、ボランティア活動に国民がどれほどこれに尽くそうがそれは、決して多くの人々の本当の幸福には寄与しない。

国家権力の暴力を、絶対に許さない、この強い決意こそが、無意味に若き命を国家権力に奪わせた私たち生き残ったものの避けてはいけない責任ではなかろうか。

今は亡き青年たちに涙する多くのご老人達の後ろ姿を見つめながら、みなさん、私たち老人に遺された残りわずかな時間をどうぞ無駄にしないで下さい。とにかく、2度とこんな無謀な戦争を国家権力にやらせないよう、我々に残されたこの時間を精一杯頑張りましょうやとささやき続けたい気持ちになって来る。

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