定年後の読書ノートより

マルクスを読む<資本論講義>、大内秀明、野坂昭如、朝日出版社
こんな素晴らしい資本論ガイドブックが、今から25年前の1979年朝日出版社から発行されていたとは、古本屋で偶然発見するまでは知らなかった。

誰もが難解過ぎると途中で投げ出してしまう資本論。これを東大経済卒東北大教授の大内秀明先生が、いささかヤブニラミ的庶民派野坂昭如氏の質問を受けながら、膝を交えて、庶民派に判りやすく、資本論を語ってくれるのが嬉しい。

商品、資本、貨幣等難解な資本論テーマも、スーッと喉元を通っていく。話は具体的で、判りやすく、身につまされる思いで、天下の資本論も、次の日から大好きなお友達になれる。以下2人のディスカッションから。

資本論ルネサンス

資本論を読むのにどのくらいかかる?1日8時間で1年ぐらいかな。それじゃこれを読むのはとにかく自習だな。この手の本は、解るか判らないかは別として、読んでおく時期があるね。年とってからトルストイなんてとても読めないよ。中年の繰り言だけど。資本論には若き頃より憧れがあったが、憧れのままで今まで読んでこなかったことが悔やまれる。

何故日本でマルクス経済学がこんなに盛んなの。農業や繊維軽工業が主体という遅れた歴史的体制から、日本の近代をどうとらえるか、知識人は絶えず資本主義体制を意識しなければならなかった歴史がある。それに答えられたのは、マルクス経済学しかなかったよ。

資本論の実用効果は?遅れた日本の近代化を考える上で、社会体制をどう改革していくかという点で理論的基礎になってきたのが資本論。しかしこの為の弊害として、公式主義的信仰もはびこった。議論は日本資本主義の特殊性を強調するか、一般性を強調するかで大きく別れた時もあった。

戦後アメリカ独占資本主義のグローバル経済化体制にひたりきると生活の質や基本的な経済体制にまで考えが及ばない。そこで、最近ではマルクス経済学は役にたたないと主張する人達が益々多くなっている。

資本論への道

マルクスの若き論文「ユダヤ人問題によせて」は、近代国家は宗教からの政治的自由は得ているが、人間的解放には至っていないと説く。マルクスが経済学に没入していく理由は、「私有財産」と「疎外された労働」の解決口は、法の正義と経済の実態の矛盾にあると考えた。マルクスはやがて「私有財産」→資本、「疎外された労働」→賃労働へと結びつけていく。

1844年「経済学哲学草稿」を発表したが、これはスミス古典派経済学の解明。マルクスはノートをとるのが得意だった。1848年「共産党宣言」。これは1847年の恐慌から革命近しと時期を読んでいたが結局革命ならず。当時市民社会がマルクスのテーマ。市民社会とは個人的利害に基く競争社会であり、私有財産が全体を取り纏めとめている。ジャーナリストとしてのマルクスの活躍。1857年再度革命情勢時期到来と判断1859年の「経済学批判」を現す。当時は極貧のマルクス。しかし矢張り革命は至らず。

マルクス、過去2回の革命情勢の判断誤りからさらに資本主義を解明せねばと決意、資本論の執筆に取り掛かる。資本論は人間と経済活動の全体を見つめている。資本論は市民社会を明らかにしようとした人間論的把握の書。1859年の「経済学批判」序文で史的唯物論を理論化。「人間の経済関係は物と物、商品と貨幣の関係で規制されざるをえない」という史的唯物論の考えを確立。マルクスの唯物史観は、人間の精神や思想、イデオロギーを科学によって基礎づけることから始めている。

労働力についての2人のディスカッション(ここがこの本の一番面白かったところ)

社会主義における労働者は、労働力を商品としては売らない。主体的に労働者として、生産に従事する。だから社会主義社会に移行するには、新しい人間関係をつくり出していかねばならない。これには一種の精神的、文化革命的な要素が必要。それを軽視すれば、ソ連のように、官僚が労働者を管理して生産させる、そういう集権型官僚体制の社会主義になってしまう

だから社会主義になって、それぞれが主体的に労働するというのは、言葉としてはとてもよくわかるんだけど、実際にやるとなると、なかなか難しい。官僚か宗教家かどっちかが、なんらかの形でみんなを縛ってないとできそうもない。

なんと言っても、世の中、商品と貨幣の人間関係ですからね。しかも依然として、資本主義の枠組みの中で生産は行なわれていくのだし。また消費も貨幣で商品を購入する以外方法はないわけですからね。その中で共産制的な人間関係を維持するとなると、それは周囲から孤立して部分的に維持することになり、精神的結合を無理しても形成しなければならない。だから宗教的というか、家父長的な形になってしまうのでしょうね、ソ連のように、スターリン主義によって、強制収容所みたいなところで、非常に無理せざるをえなかったり、また、中国の文化大革命のようなことになるのでしょうね。

社会主義は必ずしも、優れた社会システムではないのではないか、何故ならば容易に独裁者に権力を握られてしまう、独裁者登場へのきちんとした民主的規制も組まれていないではないかという、小生の持論は、この2人の討論がこの後どう展開するかで、大きく影響を受けそうなところ。しかしこの議論はここでぷつりと止まり、進んでいない。しかし、上記の議論は非常に自分の関心の高いところであり、今後もよく考えて行かねばならない。

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