定年後の読書ノートより
遠い「山びこ」無着成恭と教え子たちの40年、佐野真一、文芸春秋社
「マンガで仕上げた自分史」にも書いたが、“少年よ、生活の貧しさをじっくり見つめて、今日を生きていけ!”と教えてくれたのは、無着先生の作文集「山びこ学校」だった。かってあの作文集に感動した一人として、何故無着先生は山元村中学校を追われ東京明星学園に逃げて行ってしまったのか、そして、山本村に残された佐藤藤三郎や江口江一少年はその後どんな人生を送ったのか、東京に出た無着先生はどうして反体制の姿勢を崩し、マスコミに迎合した生き方しかが出来なかったのか、そんな数々の疑問を常にいだいて来ただけに、ノンフィクション作家佐野真一氏が足掛け3年もかけて、その後の山びこ学校を徹底的に追いつめ分厚い1冊の本にしてくれているのを見つけた時は嬉しかった。

「山びこ学校」=作文集「きかんしゃ」を戦後直ちに掘り出したのは、戦前横浜事件に連座した、東大経済出の野口肇氏であり、その背後には、国分一太郎氏や佐和慶太郎氏等がいたことは、矢張り戦後反骨ジャーナリストの確かさであり、素晴らしさだった。佐野真一氏は、実に作文集成立、そして現在までの経過・背景を詳細に調べあげている。特に作文集「きかんしゃ」原本全冊を発見していく過程の苦労は見事なもの。

それだけに、無着先生が何故山本中学校を追われていったか、その裏事情はよく見えてくる。事実を知れば知るほど、この脱出騒動には幾つものの複雑な人間利害がまきついていると知る。そのひとつ一つを名ルポルタージュ佐野氏の足が明らかにしてくれる。

しかし、佐野氏も書いているが、あの当時、日本のあちこちの小中学校には、無着先生に類する、いやそれ以上の民主教育に若き情熱を燃やした先生方が一杯いた。

実はあの60年安保闘争の時、安保闘争を戦い続けた我々の情熱の源泉は、戦後間も無いこの時期に、貧しさを見つめ、社会を見詰め、歴史を見詰めることを教えてくれた民主教育に情熱を燃やし続けた小中学校の恩師の情熱こそが、この安保闘争を盛り上げているのだと書いたが、この大学新聞記事に注目した朝日新聞が、年末の安保総括特集で、私の記事を全文取り上げてくれたことを突然思い出した。

無着先生は、結局は最終的には、一人の俗物に終ってしまったが、教え子の佐藤藤三郎や江口江一等は、山本村に生涯を埋め、そこで確かな人間像を見せてくれた。

そして、自分自身は、「山びこ学校」から一つ生き方を学び、反体制側に立つ意味を教えられてきたが、果たして人生を終了しようとしている今、改めてこの本を読んで自分自身に「本当にこれで良かったのだろうか?自分の中には、佐藤藤三郎ではなく、江口江一ではなく、結局座り心地の良い椅子を選んだ無着成恭が住み込んでいるのではないか」と問い返す今日この頃である。

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