定年後の読書ノートより
新約聖書―マタイ福音書―前田護郎訳、中央公論社
虐げられし、イスラエル嘆きの民の苦しみは、旧約聖書の終末では今にこの苦しみから救い出してくれる救世主があらわれるぞという幾つかの預言をみたが、新約聖書は最初からイエスこそ、正に待っていた救世主であるとの言葉から始っている。

イエスの生誕は、聖母マリアに聖霊で身ごもったことから始る。世はヘロデの時代であったが、東方に輝いた星の光に、キリスト生誕の預言を待ち望んだ人々はにわかに活気づいた。これに驚いたヘロデは国中の幼児を全て亡き者にしたが、それより前に、マリアはキリストを抱いて、エジプトに逃れた。ヘロデの死後、キリストはふたたびベツレヘムの地に戻った。これらはすでに予言者の預言の通りだった。

ナザレに戻ったキリストはナザレの人と呼ばれた。洗礼者ヨハネは、イエスキリストの受礼をまとめた。これもイザヤの預言の成就である。イエスは荒野の霊に導かれ、40日の断食をなした。悪魔は言った。「もしお前が神の子なら、これらの石にパンになれと言え」と。イエスは答えた。「人はパンだけで生きるにあらず。神の言葉こそが大切なのだ」「サタン、消え失せよ」。

イエスは神を信じない人々に、次々と奇跡を起し、神の力を知らしめた。イエスは説いた。「目には目を、歯には歯をと人々は言うが、悪にさからうな、あなたの右の頬を打つものあらば、左の頬をむけろ」

「隣人を愛し、敵を憎めというが、敵を愛し、迫害者の為に祈れ」

「貴方は義を行なうに、人々に見せるため、彼等の目の前でするな、施しをするにも、右手のすることを左手に知らせるな」

「明日の為に心配するな。明日のことは明日自体が心配しよう。1日にとっては、其の日の苦労で十分である」「裁くな、裁かれないために」

「求めよ、さらば与えられん。たずねよ、さらば見出さん。戸をたたけ、さらば開かれん」狭き門より入れ、滅びに至る門は大きく広く、そこから入る人が多いから。命に至る門は狭く、道は細く、それを見出す人は少ない」

イエスの元に多くの人々が集まった。群衆の食べ物を心配した弟子達に、イエスはパン5つと魚2匹で5千人の人々の食を充たした。

ガリラヤ湖湖畔では、7つのパンと魚で4千人の食を充たした。ガラリヤをめぐりつつ、イエスは弟子達に言われた。「人の子は人々の手に渡され殺され、3日目に復活しよう」弟子達の悲しみは深かった。

「先生、永遠の命を得るにはどんなよいことをすべきですか」「全くありたければ、行って持ち物を売って貧しい人々に与えよ。そうすれば天に宝を得よう。そのうえで来て私に従いなさい」と。その言葉を聞いて、悲しみながら去った。財産が多かったからである。。「本当にいう。金持ちは天国に入るのはむつかしい。らくだが針の穴を通る方が、金持ちが神の国へ入るよりやさしい。」

「12人の弟子をつれて、イエスはエルサレムに上がった。イスカリオテのユダといわれる12人の一人が、大祭司のところに出かけて、いわく「いくらくれますか。わたしが彼をあなた方にひきわたしましょう」と。銀貨30を貰った。彼はその時からイエスを引き渡すよい折をうかがった。

11人の弟子達にイエスは言った「父と子と聖霊の名で彼等をきよめ、あなた方に命じたことを全て守るように教えよ。安んぜよ。わたしは世の終りまでいつの日もあなた方とともにいる」。

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