定年後の読書ノートより
新約聖書―ヨハネ福音書―前田護郎訳、中央公論社
中央公論社、世界の名著、「聖書」と併行して、三浦綾子著「新約聖書入門」を読んでいる。その中に、ヨハネ福音書を書いたヨハネは、予言者ヨハネとは別人だと知ってホッとした。預言者ヨハネは、ヘロデアの娘「サロメ」に踊りの褒美としてヨハネの首を、盆にのせてここに持って来て欲しいとの言葉によってヘロデによって殺された運命を持つ悲劇の予言者である。それだけにヨハネと耳にするだけで、全身に鳥肌が立って「サロメ」の妖艶な白痴美の姿態が目にちらつく。

三浦綾子の「新約聖書入門」は、非常に良い本だと思う。今自分は一人で聖書を読んでいる。どうしても黙読で、読み飛ばしていく傾向がある。しかし、三浦綾子の本を読むと、読み飛ばした聖書の1節に、人間の微妙な心理の機微、そして人間の誠実な生き方の数々を改めて教えてもらい、ああそうだったのかと、自分の読解力の力不足と、さすが作家の目を通して読む聖書の味わい深い奥の世界を再認識する。

こうやって聖書を読むべきだと三浦綾子の本を読んで段々と自分にも判ってきた。短い文章の裏にある人間の生活の幾つかの顔の数々を掴まえること、これが聖書の読み方なのだと思う。

ところで、ヨハネ福音書で、イエス逮捕の様子とその時のユダの行動が始めてつかめた。18章、捕縛である。イエスはで弟子達とケドロンの園へ入られた。背くユダもその場所を知っていた。ユダは兵隊と大祭司とパリサイ人の手下を連れ、明かりや松明や武器を持ってそこに来た。イエスは身の上に来るすべてを知り、出かけて彼等に言われる、「誰に用か」と。彼等は答えた。「ナザレ人イエス」と。彼はいわれる「わたしがそれだ」と。彼に背くユダも彼等といっしょに立っていた。「わたしがそれだ」といわれたとき、かれらはあとずさりして、地に倒れた。

そこでふたたび彼等に問われた。「誰に用か」と。「ナザレ人イエス」と。

ヨハネ福音書では、ユダの最後の自殺についてはなにも書いてない。

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