定年後の読書ノートより

シルクロードの旅人、月刊「しにか」9月号、大修館書店
熱狂的なシルクロードオタクの1人である小生にとって、こういう特集雑誌はたまらない。先ず、[シルクロードの旅と旅人]と題して長澤和俊がシルクロードにつながる古今の著名旅人を列挙。特集ものの記事は、張騫(藤田高夫)、玄装(桑山正進)マルコ・ポーロ(月村辰雄)イブン=バットゥータ(四日市康博)ソクド人(吉田豊・影山悦子)突蕨(大澤 孝)ヘディン(金子民雄)大谷探検隊(白須浄真)。どの記事も興味ある内容ばかりだ。ここでは、ソクド人(吉田豊・影山悦子)をご紹介。

ソクド人とは、小生が昨年訪問したウズベキスタン・ザラフシャン川流域ソグディアナ、サマルカンドを中心とするイラン系民族。商業民族であるソクド人はシルクロード交易を独占し、500〜600年代中国・長安に商業生活を営んだ。ブハラ出身者は安、サマルカンド出身者は康、タシケント出身者は石と各自オアシス名を呼称。ソクド人を語る文献は「唐書」西域伝がある。ソクド語は中世イラン語の一種。アラム文字を使用。ソクド語はウィグル語に伝わり、ウィグル文字、モンゴル文字、満州文字となって今日に伝わっている。但し、ソクド語そのものは、モンゴル人(ジンギス・ハーン)の侵略によって、急速に衰え、現在では死語化している。

ソクド人は甘い言葉による商売の秘訣と金の大切さを赤子に密と膠とで伝授した。ソクド人はシルクロード沿いに幾つかの植民地を持っていた。遊牧騎馬民族とはひたすらに共生に徹し、イラン西方の文物を中国へ交易した。ゾロアスター教こそが、ソクド人の信仰で、死人の腐肉が神聖なる火・土・水に触れてはならないという教えを守り、サマルカンド郊外には、死人を犬に食わせる葬儀専門の集落200戸があったと、葦節「西蛮記」に書かれている。ウズベキスタンでは、骨を収めた陶器が多数出土している。

敦煌発見の漢文文書の中にも、唐代敦煌の従化郷にはソクド人集落300戸、住民1400人が住み、康、安、石の姓を持っていたとある。当時の敦煌住民は3万2千人、その中に1500人以上のソクド人が居たことになる。玄宗皇帝の楊貴妃を殺したといわれる、クーデターの主安録山も、ソクド人(=サマルカンド出身者)だと言われている。当時中国に居住していた胡人とはソクド人であり、唐代の胡旋舞は、ソクド人のダンスであった。

ウィグル人がソクド文字を使って、自分の言語を表記するようになった背景には、ソクド人が遊牧騎馬民族であるウィグル人のブレインとして長年にわたってつかえていた為である。ソクド人こそが、突蕨と中国・ササン朝ペルシャ・東ローマ帝国を仲介する使節の役目を果たしていたのは、文献「周書」にも明らかである。滋賀県MIHO博物館には、当時のソクド人極彩色の浮き彫り3点が有名である。

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