定年後の読書ノート

どこまで続くヌカルミぞ、老々介護奮戦記、俵孝太郎著、文春文庫
起伏に富み、静寂な屋敷街を散歩することが好きです。時には、屋敷内から令嬢が弾くのであろうピアノが聞こえてきて、家内も緑に囲まれた豪華な庭を横目に「こんな屋敷に住んでみたいわね」と羨ましがる。そんな時「こうした金持ちの家も、一歩中に入ればドロドロした骨肉の争いが汚いほど溢れていてね」と僕がつぶやくと、家内はまた始ったと言うような目をして、小生の顔を覗きこむ。この本もそんな、屋敷街の奥に潜む金持ちならばこそのドロドロとした骨肉修羅ものがたり。

著者の曾祖父は三菱銀行創業期の役員、六義園の一画に隠居部屋を持っていたそうな。祖父は、明治直後の東京帝国大学卒業の超エリート。当時は東京帝国大学卒業生は高等文官無試験任用の特権があったとこの本で始めて知った。父親のことはあまり書かれていないが、戦中体制翼賛会大御所のようだ。だから母親も、北陸の旧家から嫁に来て、当然のことだが老いてますます我が侭、世間的外聞も人一倍気にして、母親の背後には常に2人の妹がひかえ、盛んに兄・俵孝太郎に攻撃をかける。そして話はお決まりの骨肉の争い。「お前は、親に早く死ねというのか」「お兄さん、親にそんな思いをさせていいの」こうした会話のやりとりは、決して静かな屋敷街にふさわしくないと思うのだが、何処の家庭も、背に腹は変えられない。本書は全編内輪もめバクロとなっている。

しかし、最後に俵孝太郎の述懐が重い。

人間誰しも、人生の中道に倒れない限りは年寄りになる。そのときにあらゆる面で醜をさらさないためには、常に終着駅を意識しながら、人生の長いレールを走るしかない。老いに処するために個人個人が取り組まねばならない3点をまとめあげれば、希望と勇気とサム・マネーということになる

希望とは、心身がまったく意のままにならなくなるまで、日常生活を物心ともにできる限り自力で営んでいくことをはじめ、一芸に打込んだり、信仰を深めたりすることを含めて、人間としての成熟度を高める希望を最期まで持ち続けることである。勇気とは、自らの死をみつめることを忘れず、しかし死に囚われない勇気を鍛えあげることである。

この2つさえあれば、老いはむしろ、人生の苦闘の時期を通り過ぎた後に訪れる収穫の季節として、人間本来の意味で最も豊かな楽しい日々になるに違いない。

そのためにも、サム・マネー、少しばかりの金が不可欠である。年寄りにとって信頼できるのは、老妻と愛犬と貯金通帳だけともいわれる。物質的にはつましく、しかし心豊かに暮し、死後に結果として少々カネが残れば、それはそれで結構なことではないか。素寒貧になった後も命永らえて、周囲に迷惑をかけ続けることだけはさけたいものだ。

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