定年後の読書ノート
絹ひとすじの青春、「富岡日記」にみる日本の近代、上条宏之著、NHKブックス
50歳になってからフランス語に挑戦、毎年夏は志賀高原で開催されるフランス語講座に出かけた。その節は折り畳み自転車を持参し、長野周辺をスケッチ旅行した。松代では、ある藁屋根造りの瀟洒な民家が気に入って一生懸命にスケッチした。この民家が横田最高裁長官の実家であったこと、そして「富岡日記」の著者横田英の実家であったことを知った。帰宅後「富岡日記」を熱中して読んだ。没落士族の娘横田英は、親の命令と自分の強い意志から、文明開化・殖産興業のメッカ富岡製糸場に出向き17歳の青春を製糸工女として毎日を器械の中の青春を送った。西欧に追いつけ、追い越せの日本は、生糸輸出による外貨獲得にその成否が掛かっていると若い娘の心には毅然たるものがあった。

明治政府が導入したフランス製器械繰糸技術を日本各地に普及すること、これが工女達に期待された課題だった。全国各地より集められた工女は、没落士族の子女とはいえ、皆故郷では名家のエリート娘であった。これはその後の資本主義発達期日本の恥部ともなる「女工哀史」発祥の原点とは考えられないほど、ここには明るく張り詰めた輝ける青春があった。

横田英は器械繰糸技術を修得して村に帰る。村では早速冨岡製糸場帰りの工女を中心に西条村製糸場が操業開始、ここで横田英は中心的存在となる。

この本の中で感動的なのは、村に伝わる従来からの座繰り方式を高く評価した工場経営者に抗議し、工女全員で職場放棄、丸太とかんな削りの木材とを一緒にされてたまるかと、理路整然と高品質必ずしも高生産ならずの論理を諭す横田英は、この本の一番興味深いところ。

その後横田英は職業軍人と結婚、夫亡き晩年に書いたのが、富岡日記。横田家旧家を訪ねた時にも感動したのだが、何故この小さな武家屋敷から次々と日本の大臣達が巣立ったのか、日本の超エリート生誕の秘密がどこにあるのか不思議だったが、その秘密が今回判った。

すなわち横田家には、幕末維新、横田九郎左衛門というすごい秀才がいて、郷土の発展は、富国策にありと、人々に「山師」とあざけりを受けながら千曲川船運開発を目指し成功を直前に挫折、その後昌平黌に学び、28歳の若さでチブスで他界した青年がいた。彼の遺志は、その後も家訓として長く生き続け、横田英の生き方にも、強いテンションとして大きな影響を及ぼしていたと知ってあらためて、何故横田英があのような青春を貫けたか少し判ったような気がする。それにしても、信州の人は気骨がしっかりしていて素晴らしい。

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