定年後の読書ノート

資本論の世界・再読、内田義彦著、岩波新書
この本は、1965年NHK放送テープを土台に、新たに書き下ろした岩波新書であるが、内田先生独特の慎重な言葉使いや、言い回しが読者に慎重に、かつ冷静に読めということを一貫して要求されており、いわゆる世にある資本論入門書の如く気軽に通読するには難解過ぎる。インターネットで検索すると、今も数多くの大学では、この新書がゼミのテキストとして採用されているようだが、学生達は随分と苦労しているに違いない。

この本には、大きく2つのテーマがある。ひとつは、1848年「経済学・哲学草稿」を書いた若きマルクス「資本論」執筆に没頭した晩年のマルクスとはどこが違うか。もうひとつは、若きマルクスが糾弾した否定すべき資本主義のネガティブな側面と、晩年のマルクスが、資本論で何度も挑戦し直した資本主義の強靭なるポジティブな側面とはどこが違うかである。資本主義は歴史的に深刻な矛盾に直面している。しかし、資本主義は未だ健在である。何故資本主義はこんなにも強いか、我々の問題意識は、すでにマルクスが100年前に実感し、苦闘していた問題意識でもあった。資本主義のアキレス腱を殊更に力説し、安易に社会発展公式を鵜呑みさせる多くの資本論入門書に比較し、この本の特徴は資本主義のポジティブな側面をはっきりと最初から説き、資本主義の強靭さを読者にはっきりと自覚させるところは、マルクスが心掛けた資本論には資本主義を正直に反映しようとした姿勢がそのまま生きている。

若きマルクスの問題意識は、一貫して人間解放の視点であった。財産の為に人間があるのか、人間の為に財産があるのか、財産の人間に対する支配を極限状態においてしめすのが資本主義ではないのか、物質的貧困と精神の貧困を規定している私有財産制度の否定こそがマルクスの哲学だった。若きマルクスは人間を疎外する資本主義に目をむけ次第に哲学から経済学へと進んでいった。

しかし内田先生は、若きマルクスではなく、資本論のマルクスこそが大切だと主張される。

資本論を執筆するマルクスの基本的視角は、資本主義の矛盾を正直に反映することだった。マルクスは資本主義社会の物質代謝過程をダイナミックに把握し、大工業制度に隠された相対的剰余価値の秘密を暴き出す。しかし一方でマルクスは、資本主義の強靭な生命力にも気づいていく。ヨーロッパに到来した何度かの経済恐慌とその度ごとに緊迫した労働者階級蜂起に参加しながら、マルクスは、ますます強靭になっていく資本主義の強さを知っていく。内田先生はこの側面が資本主義のポジティブな側面だと指摘する。

マルクスは1867年に資本論第1巻(資本の生産過程)を出版した後、何度も何度も資本論第2巻(資本の流通過程)第3巻(資本制生産の総過程)を書き直している。結局マルクスは資本論第2巻・第3巻を完成することなく、1883年この世を去る。何故マルクスは資本論を完成出来なかったか、この秘密は、マルクスの健康状態や、多忙さだけに原因を求めることは出来ない。マルクスは資本主義は想像以上に強靭であることを認識し、「厳格な自己批判」に立って、叙述の内容と形式を何度も繰り返し改善したが、どうしても満足できる結果には至らず、とうとう未完のままマルクスはこの世を去る。雑誌「経済」に長く連載された不破さんの「マルクスと資本論」再生産論と恐慌も矢張り同じ結論ではなかったか。

内田先生は資本主義の強靭さをポジティブな側面という言葉を使って表現される。しかしこの本にははっきりと書いてはおられないが、第2巻、第3巻が未完に終った原因も、この強靭さを最終的に、マルクスは乗越えられなかった為ではなかろうか。内田先生は独特な言い回しを駆使して「資本論の世界」を語られる。しかし、未完に終った資本論そのものがすでに「資本論の世界」を語っていないだろうか。

この時期マルクスは、資本家階級の同盟が、「社会的発展の必然として生まれるべきものを阻止する」という警告を書いている。ところが内田先生の慎重な言い回しでは、このマルクスの警告が何を意味しているのか、読む者にさっぱり理解出来ない。

マルクスは、すでに生産の集積と独占時代に入ってきた資本主義について、危機感を思い巡らしていたに違いない。ここで有名な例の人の言葉を思い出す。「マルクスは「資本論」の中で資本主義の基礎を分析した。レーニンは「帝国主義」の中で、「資本論」を天才的に継承し、さらにいっそう発展させて、マルクス主義者としてはじめて、資本主義の発展における最高の段階であると同時に最後の段階である帝国主義を全面的にかつ包括的に分析し、帝国主義の病弊とその不可避な没落の諸条件を明らかにし、帝国主義は腐敗しつつある、死滅しつつある資本主義であり、「帝国主義はプロレタリアートの社会革命の前夜である」ことを証明した」と言いきっている。

社会発展の必然としての資本主義の崩壊、しかし資本主義社会は決して容易に崩壊するような弱いものではない。

何故資本主義はこんなに強いか、我々は資本主義の矛盾を毎日のように目にしているが、一方では崩壊したロシアも、文化大革命で傷ついた中国も目指すは資本主義経済体制ではないか。レーニンの資本論の継承とは、一体どういうことなのだろう。

それにしてもこの内田先生の岩波新書は難解な1冊だ。ここまで読み解くのに随分苦労した。難解な本はこの年になると疲れる。しかし読み終った後は、著者と共にあるような気がして、実に豊かな気持ちだ。

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