定年後の読書ノートより
「アリランの歌」覚書、李恢成&水野直樹編、岩波書店、1991年初版、9500円
「アリランの歌」を読み終え、無名な革命家張志楽氏が、ヒューマンであれば有るほど、何故あの革命の聖地“延安”で処刑されなければならなかったのか、私の衝撃は高まるばかりであった。

フランス革命におけるロベスピエール、バブーフにみる革命における非情さは限界状況に必然なものかと考えたり、この張志楽氏の悲劇に目をつむってどうして人間解放の前衛などと言えるのかと一人悶々と苦しむ或る日、市立図書館で偶然この本を発見した。我が家の近くに市立図書館がある嬉しさ、有難さをあらためて感謝した。

この本の主題は、「何故張志楽氏は処刑されねばならなかったか」を克明に追求している最近まれにみる素晴らしい本である。

李恢成氏は「アリランの歌」著者ニム・ウェールズ夫人(スノー夫人)が、まだアメリカ・マジソンで顕在である事を知って、現地インタビューをしている。出し抜けにスノー夫人から「康生のことはいっさいインタビューに応じない」と釘をさされ我々もびっくりする。最初から緊張した雰囲気が走る。

この本には、貴重な2つの資料もある。ひとつはスノー夫人の「アリランの歌」ノート、もうひとつは張志楽氏の小説「奇妙な武器」。そして最後に、何故張志楽氏は単身“延安”に乗り込んだかその足跡を追い、張志楽氏の遺児高永光氏を訪ねて、現在中国ではどこまで真実が明らかにされたかを確認している。これらのひとつひとつを心をブルブル震えさせながら読んだ。

この本は、500ページで9500円と高価な本になっているが、「アリランの歌」を読んで涙を流した人達にとっては決して高い本ではないと思う。

何故張志楽氏は殺されたか。ここでは、康生について書かれたこの本の一節を転記する。

1938年当時、キム・サンだけでなく、多くの無実の革命家が処刑された。中国共産党の説明ではそれは康生個人の性格や権力欲、一部指導者の政策的な誤りとなっている。

しかし、事実はそのような単純なものでなく、世界的な規模での社会主義革命遂行上の誤謬と密接な関連があったと思われる。

康生はいうまでもなく、中国共産党の特務機関の創立者の一人である。康生は1924年に中国共産党に入党したが、そのわずか2年後から党の特務機関に足を踏み入れている。その後ソ連に派遣され、ソ連の秘密警察機関であるGPUで指導訓練を受けている。1937年まで4度の訪ソで康生は秘密警察NKVDで学んだ。

当時、ソ連は大粛清の時代であった。1934年スターリンに次ぐナンバー2の地位にあったキーロフの暗殺事件をスターリンは「反革命分子による暗殺事件」にデッチあげ、国際的緊張関係を利用しつつ、徹底的な粛清運動に発展させた。多くの幹部が無実の罪で処刑・流刑になった。その尖兵はNKVDであった。

ソ連から帰った康生は、政治保衛局長となり、破壊工作と謀略から党をまもる特務機関を引き受けた。康生はNKVDで学んだ「反党分子」の摘発、処分方法をそのまま用いた。一言でいえば「疑わしき者は総て処分しろ」式の暗黒の裁きと処分の方法をとった。

キム・サンは過去2回、日本の官権に逮捕され、比較的軽い刑で釈放された。その代償に、寝返って、日本の官権のスパイになったのではないかと疑われ、査察を受け、そして逮捕され、処刑された。解放後押収した国民党の書類、日本の治安関係書類には、張志楽氏を拷問に掛け、調査した書類はあっても、転向したと書かれた書類は何等発見されていないことは、名誉回復調査過程で確認されている。

そしてまた、延安での張志楽氏処刑指示書のサインは言うまでもなく、康生この人であった。」

自分は過日コミンテルン史を読み、カウッキーの主張が強烈に印象に残っている。

社会主義と民主主義は不可分であること、労働者階級が少数で未熟なロシアの革命は時期尚早、ボルシェビキー独裁に頼らざるを得ないロシア社会主義は社会主義の大義に有害と主張した。カウッキーは社会主義への平和的移行の可能性を説き、歴史の飛び越しは不可能であると力説した。」

「絶対的な中央集権化とプロレタリアートの厳格な規律」を本質的条件とするロシアモデルの前衛党」

これは必ず独裁を生み、禍根を歴史に残すであろうと、カウッキーはレーニンとの論争の中で主張している。

すでに事前に危惧された歴史的過ちがスターリンの独裁政治を生み、多くの民主主義を踏みにじり、前衛の過ちを拡大し、最終的にロシア社会主義の崩壊につながったのではないか、自分はそう思う。

スターリンの独裁、毛沢東の文化大革命、ポルポトの大虐殺この根底には、歴史の歯車を正義の名のもとに無理強いさせる前衛論の過ちがあった。それはレーニンとカウッキーの論争の中にすでに見ることが出来る。

トルストイに学んだヒューマニズムを大切にしようと、革命運動に生きた一人の無名な朝鮮人革命家張志楽氏の悲劇が教えてくれること、それは現在の革命運動の根本的な問題にも結びついている。

自分はこの本を閉じるにあたってあらためて歴史はもっと厳粛に、謙虚に、そして正しく学ぶべきであると実感した。良い本だった。

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