定年後の読書ノートより

コミンテルン史

ケビィン・マクダーマット & ジュレミ・アグニュー 著 (英国シェフィールド大学教授) 萩原 直 訳 全6章、全335p 1998年初版大月書店発行 5600円

1917年10月ロシア革命が導火線となって、世界革命はドイツを先頭にヨーロッパ各国で連続して成功するものと期待されていた。勿論、資本主義の危機が世界的規模で広がっている危機的情勢だけでは、同時革命は成功しない。そこには組織された強力なる前衛党の指導が必要である。1919年3月レーニンは世界党組織コミンテルンを発足。

レーニンは、マルクス主義は革命的教義であって、改良主義的教義ではない。前衛党は民主的中央集権制の下、厳格な規律を維持しなければならない。帝国主義戦争は社会主義革命の突破口になると主張した。第2インターナショナルの理論家カウッキーは社会主義と民主主義は不可分であり、労働者階級が少数で未熟なロシアの革命は時期尚早、ボルシェビキー独裁に頼らざるを得ないロシア社会主義は社会主義の大義に有害と主張した。カウッキーは社会主義への平和的移行の可能性を説き、歴史の飛び越しは不可能であると力説した。レーニンはカウッキーと理論的に鋭く対立した。対立は以後社会民主主義者こそ、ブルジョアジーの回し者、すなわち最も憎むべき敵であり、社会民主主義者=「社会ファッシズム」をやっつけろとの激しいスローガンが全世界共産党に発せられ、この対立は以後国際共産主義活動に大きな影を落とす。

社会民主主義者と共産主義者の不和の底には、世界革命の展望に対する相違があった。経済が疲弊し、社会が流動しているとき、飢餓とテロルが横行する革命的変革を社会民主主義者は受入れられなかった。組織労働者の多くも社会民主主義者の考えを支持した。ヨーロッパではボルシェビキの呼びかけは労働者を動かさなかった。

1921年3月中部ドイツの革命挫折で世界同時革命の夢は破れ、今や社会主義の砦ソ連を守ることが、世界各国共産党の重要スローガンとなった。強い前衛、厳格な党組織を前面にするロシアモデルの優越性が主張され、このモデルの延長線上には独裁の危惧があることを多くの人が恐れながらも、ヨーロッパでの革命不発、ロシアでの一国社会主義革命の成功はロシアモデルの優越性にあるという論理で、次第に一枚岩の前衛イメージが定着、一方スターリンはそんなコミンテルンを外交の道具に使い始めていた。

「絶対的な中央集権化とプロレタリアートの厳格な規律」を本質的条件とするロシア モデルの前衛党は、社会民主主義者を憎み、蔑み「社会ファッシスト」と激しく罵りあった。台頭しつつある現実のナチスファッシズム勢力に対してすらある時は社会民主主義者 に対抗出来る友好勢力と位置づける過ちを犯した。

ドイツで現実ファッシストナチスが台頭してきたが、これを民主社会主義者と統一戦線を組んでいち早く阻止することは出来なかった。しかし下部からの統一戦線の声は益々高まり、コミンテルンはデミトロフをして統一戦線確立に邁進させた。当時スターリンは上からの指示によって前衛党は動かせると信じ、事実その通りだった。

スターリンは1939年独ソ不可侵条約を結び、ポーランドを圧殺。コミンテルンはこれを追認する外なかった。 独ソ不可侵条約によって、ヨーロッパ各国共産党は多大な混乱をまねき、多くの人々が共産党を去った。フランス共産党は非合法化された。

コミンテルンは当初より先進国労働者と後進国労働者の違いは、これを重視してはならないとのロシア・モデルの教義から革命での多様性を認めようとはしなかった。その結果、民族解放闘争に対しても適切なる指導が出来なかった。あくまでも資本と労働の対決論理が優先した。その最も大きな過ちは中国革命におけるコミンテルンの失敗である。

中国革命の主勢力は農民にあった。しかしコミンテルン指導者はあくまで都市労働者を重視し、幾度の都市武装蜂起を指示し失敗を重ねた。コミンテルンは革命勢力主体はあくまで国民党にあるとして、最後まで中国共産党の力を軽視していた。これらはモスクワの意向のみを重視するコミンテルンの体質に起因する。

モスクワにて指導をうけたロシア仕込みの共産党幹部がスターリンの命を受けて中国共産党を動かし、大きな損失を被り、ここに始めて毛沢東の指導力が浮かび上がってくる。

中国でのコミンテルンの失敗。世界革命の多様性を認めようとしなかったこと。あくまでロシアモデルを世界各国に一律に適応させようとしたこと。コミンテルンは次第にロシアの道具に成り下がり、ソ連外交上の利害だけが最優先させられた。

1943年5月赤軍はスターリングランドで勝利、次の世界情勢を読んだスターリンはコミンテルンの解散を決意。動機はソ連邦が反ヒトラー連合で連合諸国との関係を強化する為であり、要するにソ連の利害を最優先にした決断であった。

1990年ソ連邦は崩壊し、ロシア政局はいまだ安定していない。しかし不思議なことに、大半の国民はあの70年間の歴史を悪夢と述懐するのみで何等そこから学ぼうとはしていない。主人公であるべき国民にそれほどまでに嫌悪されていたソ連邦共産党とは一体何であったのか。

今回英国学者によるコミンテルン史を読んで強く印象に残るのは、果たして1918年のレーニン・カウッキーの世界革命論争は、本当に最終結論としてレーニンの革命展望が正解だったのだろうか。カウッキーの主張にもっと耳を傾けるべきではなかったか。

1918年レーニンは「プロレタリア革命と背教者カウッキー」を書いて激しくカウッキーを非難している。これに対しカウッキーはどう反論したのか、機会をみて勉強してみたい。

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