第1次世界大戦と東アジア(岩波歴史講座24、現代史1)

今井清一、藤田敬一

辛亥革命の指導理念には反帝国主義は欠落していた。1911年武昌蜂起以降英・米は清国に対し袁大統領起用を要求、あくまで共和制を避けようとする。革命派も袁臨時大統領を認め、列強からの武力干渉をさける。袁臨時大統領は完全なカイライ政権ではなかった。帝国主義間は自国に有利な次政権を工作した。

山東出兵、対華21か条を通じて、日本はアジアの憲兵から帝国主義の代表に地位転化した。中国に内乱を起こし、それに乗じて帝国主義的権益を拡大、中国を日本の従属下におくと同時に、他面では列強共通の代理人封建的反動を支持するような見せかけで、自らの地位確立しようとしていた。

イギリスは清国と革命軍間の休戦をすすめ、事態収拾に日本が加わることを締めだした。日露は満州の権益保護を主張し、四国借款に後から2国加わる。憲政護憲運動と軍部・官僚は中国問題で激しく対立する。1914年、列強が世界大戦で中国から一時的に手をひいた好機会を利用し、日本はすかさず中国に勢力を伸ばす。山東省制圧をねらった日本に中国は反日感情を高め、1915年21ヶ条要求を機に反日運動爆発。

朝鮮を国内商品市場にしようとして 、都市、農村の手工業を破壊。中国においては諸外国の綿製品を圧倒することによって、満州市場に進出。中国本土との貿易も躍進。大戦中英国を追い抜いて1位となる。日本の中小企業が大挙して中国に渡航。大戦後は戦後恐慌で打撃を受けた中国人紡績会社を併合、日本資本の在華紡進出。台頭する中国労働運動と厳しい敵対関係に入る。

1917年ロシア革命に続き1918年ドイツ降伏。アメリカは世界1位の資本主義国にのし上がる。パリ講和条約で山東省ドイツ権益を主張する日本は列強の妥協をかちとったが、中国では5.4運動、朝鮮では3.1運動が盛り上り、反帝国主義運動の前に日本は満蒙権益擁護政策に転換していく。国内では、1918年米騒動を契機に労働争議は広がり、労組結成もすすむ。普通選挙運動が広がる。中国の排日運動に刺激されて、国家主義運動が台頭し始めた。日本帝国主義は、第1次大戦による内外情勢の構造変化に適応出来ないまま、不安と動揺にさらされていく。

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