ドイツの敗戦(岩波世界歴史講座24)

富永幸生著…私の現代史8

1917年ロシア革命は、無併合、無償金、民族自決を掲げて、ブレスト・リトフスク講和条約を結んだが、期待されたドイツプロレタリア革命は起きなかった。何故だろう。

ドイツ軍権力を握っていたのはルーデンドルフ将軍、彼は東部戦線の軍事的好転を喜び、「勝利の平和」政策を推進した。ドイツ政府は民族自決を旧ロシア支配下にあったポーランドやバルト地方のロシアからの分離とし、国内には議会多数派工作で柔軟な姿勢を示し、妥協で乗り切ろうとした。

社会民主党は3つに割れ、スパルクタスは革命を、カウッキーの独立社会民主党はボルシェビキの一揆主義、ブランキ主義を批判し、左派と対立を深めた。独立社会民主党は併合政策批判に終始し、ドイツ革命化を支点とする動きはなかった。

リープクネヒト等スパルタキストは、ソ連対独講和はドイツ革命を不発に終らせる背面攻撃だとしながらも、反帝国主義階級闘争こそ当面の重点課題であるとし、必要なのはドイツ帝国主義の背後での労働者蜂起、大衆闘争であり、プロレタリアドイツ革命であると主張した。

ベルリン等工業都市では大ストライキがおきたが、何故かこれらのストは自然発生的な成り行きにまかされ、独立社会民主党もスパルタクスもストを組織化していく動きはとらなかった。ストライキは革命的指導性の欠如のまま、ルーデンドルフ軍事権力により弾圧されてしまった。

一方。東部戦線の終結に対し、保守党はツアーリズムを倒したのは、革命の如き代物ではなく、ドイツの現存の国家体制であり、ドイツ軍の銃剣こそがこの成果をもたらしたと誇らしく語った。

しかし、アメリカは参戦し、120万人の兵士、400台のタンク投入により西部戦線でドイツ軍は敗退し「暗黒の日」を迎える。

1918年10月26日ルーデンドルフ軍事独裁は崩壊し、ウィルヘルム2世退位、ホーエンツォレルン王朝終焉する。

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