定年後の読書ノートより
飛天、飛鳥資料館図録22冊、奈良国立文化財研究所
今を去る2000年の昔、仏教の飛天はインド亜大陸で誕生し、仏教と共に、東西文明の交叉点ともいうべき西域の地にひろまった。インド文明に地中海地域の様々な文明の要素を加えた飛天は、中国に受容された後、東洋的に完成された様式をとるに至る。南北朝、隋、唐各時代の石窟、或いは王域の大寺院を荘厳にしたこの飛天は、飛鳥時代になって日本に渡来する。

以後我が国の仏教の興隆にともない、仏教関連の工芸、絵画、建築を飾り、仏教をたたえる重要な意匠として、多くの作品が残されることとなるが、とりわけ法隆寺には金堂壁画を始め金堂天蓋、幡、玉虫厨子、橘夫人厨子など華麗な飛天の姿を飾る宝物が数多く収蔵されている。

法隆寺壁画飛天は念紙技法を用いて、手足の振る舞い、身のこなし、天衣の流れなど、その何れを見てもごく自然で、少しの無理も感じられない姿を20面にわたって飾っている。

飛天の誕生に関しては、ガンダーラの三尊仏、中国ほくぎ三尊仏、飛鳥時代川原寺博仏の日本三尊仏を比較するとき、一つの図式原則が忠実に伝えられているのが良く判る。

高句麗に仏教が伝わったのが372年、百済、新羅に仏教が伝わったのは6世紀前半、日本には538年、飛天は金堂釈迦三尊光背に飾られたものと思われる。

薬師寺東塔水煙には、12人の飛天が舞い、東大寺大仏殿八角灯篭には音声菩薩立像がある。それは地上に降立った飛天の姿である。

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