定年後の読書ノートより
羊の歌−我が回想−加藤周一著、岩波新書
続編は終戦を東大医学部助手として迎えた1945年より、安保反対で文筆活動に燃えた1960年までの15年間を書いている。終戦直後氏は目黒区宮前町に実家があった。中学・高校時代小生も同じ宮前町に住んでいただけに氏の存在を近くに実感する。

広島原爆直後の医学調査で米国医師団と接触、欧米の知識人に強い関心を持つ。講和後、直ちにフランスへ留学、大学病院研究生として日本館に席を置く傍ら、広くフランス文化、知識人・戦争・平和・社会改革問題に対する姿勢を学ぶ。そうした生活の中でヨーロッパの歴史遺産そして幾つかの恋にも巡り合う。3年間のフランス留学は、京都の女性から離れ、ウィーンの恋人と巡り合い、生涯を共にする決意に至る。帰国後、氏は医学者・自然科学者としての自分と、文学・芸術を求める自分との二つを生き抜くが、次第に文学一筋に、そして知識人としての自分に生き抜くことを決意していく。安保闘争は、評論家としての今までの傍観者であり続けた自分から、行動する自分への脱皮となった。印象的な箇所を一部書き出してみた。

戦争に賛成していた人々の背後には権力があり、言いたいことを、自由に言って、周囲を憚る必要はなかった。それは平等の条件のもとでの論争ではなかった。

安保論争においても、政府の政策に賛成する論者と、反対する論者が、平等の立場にたっていたとは言えないだろう。東京において「安保賛成」を称えるのは、容易で、安全で、当人の将来の立身出世にとっては好都合なはずであったろう。

しかし論戦において、権力の利害との一致は、論者の頽廃を招きやすいように思われる。圧倒的な力を背景にして、議論をすすめるのと、理屈の他に何の支えもなくて議論を進めるのとでは、条件が違う。その条件の違いを知らないとすれば、それは知的頽廃であり、知っていて、その違いに敏感でないとすれば、それは道義的頽廃である。

羊の年に生まれた私は、自ら顧みるに、その性質温和なること羊の如く、話をするのにさえ大声叱咤を好まない。私は生命をかけて政治運動に飛び込むほど、政治上の道議を信じたことはない。しかし立身出世、我が身の栄華栄耀ということの値打ちは、それ以上には信じなかった。

もう少し金持ちになることに私はどれだけ満足するだろうか。たしかにそれは相対的であるにしても、道義上の満足、たとえ不完全にしても、知的満足に、はるかに及ばぬものでしかないだろう。

つまるところ私は、私自身の、決して確実だとは言い切れないところの、しかし私にとってはそれ以上に確実な価値判断の根拠を求め難いところの、道義感にもとづき、時の権力に反対の意見を持ち続けてきた。

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