定年後の読書ノートより

KGB,フリーマントル著、新潮選書
過日スメドレー著「アリランの歌」を感動して読んだ。しかし、主人公張志楽氏はこともあろうに、ソ連KGBの流れを汲む中国のベリア康生によって、スパイ嫌疑で処刑されていた。この恐怖は革命以後ソ連崩壊まで人民を苦しめ続けていたかと思うと、ソ連は絶対に許せない国だと思う。なぜこんなひどい政治が行われていたか、それを自分なりに知っておきたかった。この「KGB」という書物は冷戦下、英国情報局に所属していたスパイ小説家フリーマントルによって反ソ的立場で書かれていることは、当面問題ではない。

レーニンは「ジャコバン党」のあの過酷さは革命にとって欠かせないと考えていた。1917年、レーニンは牢獄から解放されたジェルジンスキーを体制防衛の初代リーダーに指名した。チェーカー・GPUは、テロルと同義語であった。レーニンは、テロル緩和に不満を持ち、「テロルは法律で排除すべきではない。はっきりと原理的に裏付けて法制化すべきである。法の正義に関する革命意識と革命的自覚だけが、運用面で摘用の条件を決定づける」と書いている。

スターリンとトロッキーの権力闘争では、ジェルジンスキーがスターリン側についたことが勝敗を決した。ソ連を襲った革命後の大飢餓に際して、ジェルジンスキーは富農への弾圧をテロルで対処した。ジェルジンスキーの後をついだヤコーダ、エジョフ、ベリヤはスターリン恐怖政治の基礎を確立した。1000万人以上の人々が粛清された。

戦後KGBは、省に昇格した。反体制知識人に対し、幾つかの弾圧が加えられた。冷戦下、資本主義諸国にたいする情報活動には多大の人と金がつぎ込まれた。原爆の秘密が、最新科学技術情報が、最高戦略構想が、KGBの手によって資本主義国からソ連に流れた。

日本では、現今の公安警察が、かっての特高警察の流れであるという実感はあまり我々の中にはない。しかしソ連では革命以降一貫して、内外の動きに、陰湿にして絶大なる陰の力を発揮して来たKGBの存在は、人々を常に苦しめ、震えあがらせてきた。これはどうしても革命が故の必要悪とは認め難い。明らかに人民に対する恐怖政治による弾圧であり、民主主義そのものを犯す反人民的行為である。

ソ連の社会主義革命は民主主義思想が人民の間に育つまで急ぐべきではないと主張したカウッキーの歴史眼の正しさを今自分が取り上げても、それは全く自然だと思う。

レーニンはカウッキーの主張に対し、プロレタリア民主主義確立を約束した。しかしソ連には崩壊に至る70年間、民主主義さえ育っていなかった。科学的社会主義革命は人民の間に民主主義が確立した後に進めるべき人類史的大事業である。民主主義とは人類の社会構成原理の基礎として、最も重視していくべき大切な原則なのだ。これを忘れてはいけない。