定年後の読書ノートより
幸福の諸相、吉田豊著、名古屋哲学研究会
名古屋哲学研究会機関誌「哲学と現代」11号に「幸福の諸相」と題して、最近の女子高校生にみられる生活ポーズとでも言える傾向を吉田先生がまとめておられる。

若い人は言う。「幸福なんて殊更に考えたことないわ」。今や幸福を求めたりすることすら必要ないほど彼女達は満たされているのだろうか。

実のところ彼女達は成績による輪切り管理で、人生どんどん選択の枠は小さくなっていく現実を半ば当然なこととして傍観者の如くじっと眺める姿勢が身に付いている。彼女達は、成績に制度化された、ランク付けされた、自分の幸福に自らの限界を半ばあきらめの姿勢で見送っている。自分がどうしたって世の中動くものでもないと見ているようだ。

高校生は何か良いことがあると「ラッキー」と言う。それは何かを偶然につかみ得た感覚である。人生そのものにも同じ感覚が当然だろうと彼女達は思っている。「常識」が外れたり、「権威」が崩れた時、抑圧するもののほころびに出逢い、彼女達はラッキーと実感する。世の中何もかも自分の手が届かないところで動く、彼女達はそう思っている。

見合い写真に力を入れるのも、中味よりミテクレに価値観を認めようとする彼女達のセンス。短時間の決着。ミテクレは重要なワンチャンス。結婚式に多大な金を使うのも、目立つ夢はありえないとする彼女達の諦観を覆す一瞬の放電でもある。

いずれにしても、現実は現実。だから、出来るだけ心理的に楽に受け入れたい。ギラギラした生き方などは仲間受けしない。自分の意図を表に出さずに、周囲に対応して「なんとなく」をよそおうのが、一番楽な道。幸福は感性的なもの。だから他者からどう見られているかが、一番大切。幸せを幾つかのパターンに分類。パターンに合わせて自己演技する。新しいスタイル、CMは、商品が幸せを持ってきてくれるかの幻想を振りまく。

女子高校生には異常なほどに「玉の輿」願望が強い。すでに出来上がったものに乗かってしまうのは、実に楽である。彼女達には「幸福」という言葉から、人生の目的とか、社会的制度をも含む主体的、行動的な姿勢がイメージされない。せいぜい個人的な感性世界の中で、幸福を捉えざるを得ない。他人との比較の中で、競争しながら、自己を追い立てて、「勝負のはっきりしている幸福ゲーム」が、追求の対象である。

特定のモデルの中ででしか幸福になれないという生活感覚、それをそのまま疑うこともなく受け入れている現代女子高校生、管理はさらに学校教育から生活一般に進められていく。管理が容易に進められていくことは、同時に人間の尊厳は確実に犯され続けているということを彼女達自身も気が付いていない。

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