定年後の読書ノートより
旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三―ノンフィクション作家佐野真一著、文芸春秋社
NHK人間大学で毎週、ノンフィクション作家佐野真一氏の「宮本常一が見た日本」を興味深く聴講している。テレビでは、佐野氏自身、毎回周防大島や対馬、奥三河の現地を歩き、山村に生きる主人公達と今は亡き宮本常一人間像を語り合う、なかなか見ごたえのあるテレビ番組が続いている。

本書「旅する巨人」は、この番組の下敷きになっているのは当然だが、「旅する巨人」にはもう一人国立民俗学博物館設立の基礎を築いた渋沢敬三氏を宮本常一氏と対照的に描いているのも面白い。2人には運命的ともいえる幾つかの接点があり、その接点を探っていくことも、この本の面白さのひとつになっている。

「忘れられた日本人」「土佐源氏」で、民俗学の面白さを教えてくれた宮本常一氏は、ものすごい時間と労力を自らかってでて国内徒歩旅行を重ねた人で、その旅程は実に16万キロ地球4周に及ぶという。

またその旅は、日陰に生きる古老達の一生を聞き出す旅でもあり、平成の今日、過ぎし日本の底辺を静かに描いた感動がノスタルジアと共に言い知れぬ空気の暖かさを教えてくれる。

佐野真一氏自身もテレビの中で何度も力説するが、イデオロギーや党派性に収斂しようとする進歩的文化人とはいつも一線を画していた宮本常一氏ではあるが、被差別部落や過疎山村に生きる人々のイキザマを明るみに照らし出すことによって宮本常一氏の姿勢は我々が置き忘れてきた何物かを無言の内に暗示している。

沈黙という自己表示を続ける大衆を如何にとらえるか」という方法論において、唯物史観を唯一の手がかりとする首都在住学者諸氏に対し、黙々と歩き続ける無名な宮本常一氏は、伝統的保守主義の厚みを実感させる確かな、厚みを感じさせる方法論を持っている。
こうした宮本常一氏を早くから評価していた一人は司馬遼太郎氏であり、「
宮本さんは、地面を空気のように動きながら、歩いて、歩き去りました。日本の人と山河をこの人ほど確かな目で見た人は少ないと思います」と書いている。

確かな目とは何か、自分自身もうまく言えないが、宮本常一氏にせよ、司馬遼太郎氏にせよ、次元の高い抽象概念に収斂する作業はあえてしようとはなされていないが、しかしじっくりと暖かみを感じさせる落着いたものが常に底辺にあふれ出ているという実感を保守と表すなら、保守とはなんて豊かなものだろうとも思う。

ここをクリックすると読書目次に戻ります