定年後の読書ノートより
奈良・京都の古寺めぐり−仏像の見方−水野敬三郎著、岩波ジュニア新書
高校時代の親友であり、奈良国立文化財研究所で考古学研究を重ねて来た、伊東大作氏から、桜満開の奈良へ遊びに来いと誘われ、泊まりがけで出かけることになった。現役時代の海外出張もそうだったが、出かける前のあわただしい時間の中で、当地の歴史を事前勉強する時ほど、楽しい時間はない。目下、技術士会編纂の繊維辞典作りで結構日常時間が追われている毎日だが、奈良の仏像に関する事前知識を無性に吸収したくなった。

仏像は仏陀、菩薩、明王、天に4大別される。仏陀は如来ともいい、真理を悟った姿。釈迦は仏陀である。阿弥陀如来、薬師如来は悟りを開いた後の釈迦の姿。菩薩とは修行中の姿。観音、普賢は出家前の釈迦の姿。明王は密教の教理より生まれた姿。天は仏法守護の目的のインド土着信仰の神神。

法隆寺金堂釈迦三尊像にて仏像の着衣法を学ぶ。正面で打ち合わせた裙(くん)。胸と脇をおおう僧祇支(そうぎし)、その上から1枚長方形の大衣(だいえ)。

大衣の着方、まず左肩にかけて左胸と左腕をおおい、背中にまわして右から身体の前面をおおい、その残ったはしを左肩と左腕にかける。そのさい、右肩や右腕も大衣でおおうのを通肩といい、背中にまわした布が右脇の下をくぐり、右肩を露出した着方を偏坦右肩という。通肩はガンダーラで、偏坦右肩はインドで生まれた着方。

救世観音像と百済観音像そして中宮寺半伽思惟像。木彫材は檀木代用材として、日本では楠、しかし広隆寺弥勒像は赤松材、朝鮮半島の代用材は赤松。救世観音像は表面に金箔、百済観音像・半伽思惟像は漆の盛り上げ。

興福寺仏頭は白鳳時代の代表作品。昭和11年東金堂本尊台座内部より発見。従って1180年平重衡南都焼き討ち以前にあった、山田寺金堂丈六薬師三尊像の一部である。奈良飛鳥の山田寺は蘇我馬子の孫、石川麻呂が創建、中大兄皇太子(天智天皇)との勢力争いでこの山田寺で自殺。後に天武天皇が、山田寺金堂丈六薬師三尊像の開眼供養をしている。

東大寺戒壇院の四天王像。小生の最もすきな塑像群像。天平彫刻の完成。正倉院文書に金光明寺造物所という官営工房の名あり。ここでは多数の工人の分業が行われ、造営長官に国君麿がいた。彼は後に大仏造立により国中連の姓を受けた。彼の指導による作品である。

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