定年後の読書ノートより
遊びの人生経済学、元毎日新聞論説委員安原和男著、創流出版
自分の現役時代の思い出。職場で気になる存在は、毎日深夜過ぎまで、仕事に没するやり手と言われる男達。とにかく仕事には猛烈。夜中の1時、2時になっても突然受話器を握り、話相手をどやしつけている。近くの住民達はささやく。「トヨタの技術本館は夜中でも室内照明は消えたことがない」と。

会社人間に疑問を持たず、会社動物にまでなり下がっていく技術者達。いや本人の発意がどうあろうと、そんな技術者達を是としてきた組織風土は日本の会社何処にでもある。何故人々は自分自身こそ一番大切なんだと気付かないのだろうか。この本はこうしたモーレツ社員の背景にある日本企業の組織風土に警鐘をならし、それを打ち破って生きて行くにはどうすべきかを説いている。

奴隷的労働から抜け出すには、まず奴隷的労働者であることを自覚する自分から出発せねばならないと言ったのはマルクス。

人間らしく生きるとはどういうことなのかを思想として最初に追求したのはマルクス。人間らしく生きるとは労働が「遊び」になること。仕事に、人生に、それなりの満足、喜びも見出せず、空しく歳月を重ねるのでは、人間らしく生きたとは言えない。他から強制され、命令され、あるいは管理される仕事や人生が、自由や個性を満たした時間でないことは容易に想像出来る。にもかかわらず、かなりの多くの人達はマルクスの考えはもう古いと言う。こんな発言をする人達は絶対にマルクスを読んだことはないに違いない。世間の雰囲気にあわせて、おうむ返しにしゃべっているに過ぎない。こうした人は、自由、自由と口には出すが、自由な精神を楽しむことを知らない怠け者。何故ならば、モーレツ社員を、最も深刻にとらえ、どう生きるべきかを真剣に考えたのは、マルクスが最初であり、今もマルクス以上にこの問題を考え抜いた人はいないのだから。

労働が単に生活の為の手段であるだけでなく、労働そのものが第1の生命要求になり、諸個人の全面的な発展にともなって、協同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧き出るようになった時、社会はその旗の上にこう書くことが出来る。「各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて」

人間らしく生きるとは労働がすなわち「遊び」になるときである。

私的所有制度の一方に企業が存在し、他方に無数のサラリーマンが存在しているという構造のうえに労働力の商品化が一般化している。資本主義システムの下では労働者は企業のため、資本のため、つまり他者のため労働するのであり、そこから労働疎外が発生する。こういう問題意識から資本主義の分析に取り組み、体系化したのが「資本論」。

それでは資本主義体制下でも人間らしく生きるのは可能か。勿論可能だ。しかし、毎夜深夜過ぎまで職場に残り、自分の奴隷的労働に怒りを忘れたような生き方では絶対に望めない。人間として、毅然として人権尊重、自由、民主主義を堂々と主張し、闘いとっていく姿勢が先ず必要なのだ。

マルクスはこうも述べている。世の中すべての権利は闘いとられたものである。


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