定年後の読書ノートより
古代の形−飛鳥・藤原の文様を追うー飛鳥資料館、奈良国立文化財研究所、
文様の背景を、田中館長はうまく捉えておられる。大昔から人間は自然に深い関心をはらってきた。これらを繰り返して描くうちに、一定の形が出来る。そして文様を創りだした社会が変れば、文様も替っていく。だから文様は人類共通の遺産だと。

古来、蓮華は聖なる花として敬われた。インド、ジャイナ教美術で使われていた蓮華文は中国に伝わり、高句麗、百済から日本に伝わってきた。百済中期王陵の蓮華文から飛鳥寺への影響が、蓮華の弁の数、形、子葉の形状から、強く読み取れる。

また、山田寺では、日本書紀にあるように百済から多くの瓦工人が来たことを立証する、瓦の近似が蓮華文から読み取れる。蓮華文もやがて単弁単子葉から複弁複子葉に変化していく過程が、飛鳥から藤原京への変化と重なって面白い。

礎石に彫られた蓮華文より、山田寺が如何に格調高いお寺であったか、また斑鳩文化圏を象徴する簡素な蓮華文も、文化のつながりと位置付けを意味する所から面白い。

唐草文様は紀元前6世紀ギリシャで「パルメット唐草」として誕生。ここに、ロータス文、葡萄文、ざくろ文が、豊饒多産の象徴として、神殿や調度品の装飾文に使われた。この文様は地中海世界から、メソポタミアを経て、シルクロード上で仏教文化と出会いいっそう多様なものに華ひらいた。日本で本格的に唐草文が華ひらくのは、仏教伝来以降のこと。飛鳥寺造営には百済から多くの専門技術者が来日した。法隆寺若草伽藍造営では、渡来系工人はパルメット文様をもたらした。文様入り軒平瓦が各寺院に普及するのは、7世紀後半になってからである。

動物意匠は古代からの太陽、月伝説と関わる。月に兎とひき蛙、太陽に3本足の烏、ライオンは日本には唐獅子として伝わり、動物の姿は狩猟、牧畜の民族と、日本人の如き、農耕民族にはまた違って映った。いずれにせよ、シルクロードをへて、中国、朝鮮、日本と伝わるこれら文様の中に我々は文化の変遷を観ることが出来る。

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