定年後の読書ノートより
ローザ・ルクセンブルクの手紙、ルイーゼ・カウッキー編、初版1932年、岩波文庫
Dr.ローザ・ルクセンブルクは1871年ロシア領ポーランドに生まれ、「資本蓄積論」を著作、何度も投獄の苦難を経てドイツ共産党を創立、1919年K・リープクネヒトと共にドイツ社会民主党出の司令長官ノスケの手先によって暗殺された女性革命家。

26歳より48歳までの生涯を通じて、ドイツ社会民主党カウッキー一家とは親しい間柄にあり、本書はローザ暗殺3年後の1922年、「裏切者、社会愛国主義者、シャイデマン派、背教者」の怒号の中で、カウッキー夫人が編集発行したもの。特に最後の数年間の手紙は、カウッキーとローザ・ルクセンブルクの友情が、国際的なありとあらゆる怒号の中にあっても元のまま、いや、ますます友情は深く、細やかになっていったことを読む者をして胸熱くさせる。

当時カウッキーに加えられていた鉄拳のすごさはレーニンのローザ評の中にも見ることができる。「これらの欠陥は、ローザの個人的欠陥ではなくて、カウッキー流の偽善、衒学、日和見主義に対する和平という、忌むべき網により四方八方からがんじがらめにされている、すべてのドイツ左翼の結果である」とし、カウッキー等を「労働運動の後方で糞土にまみれながらさえずえる鶏」になぞらえつつ、ローザを「高く飛ぶ鷲」の姿に例えている。

ローザ自身もカウッキーのロシア革命時期尚早論を評して1917年4月、こんな激しい手紙を書いている。

「ロシアの社会関係はプロレタリアートの独裁にまではまだ成熟していない!なんと独立社会民主党にふさわしい「理論家」でしょう!彼(勿論文中ではカール・カウッキーを指している)は、フランスも1789年と、それから1793年には「統計的」にみれば、ブルジョアジーの支配にまでは、なお一層成熟していなかった、ということを忘れてしまったのです!幸いなことに、歴史はもうとっくにカウッキーの歴史的処方箋通りには進んでいません。ですから私達は最善を期待しましょう。」と。

しかし、70年後の今日、崩壊したロシア社会主義の誤りは、自国独裁権力集中を押し進めた過程において民主主義を踏みにじり、しかもロシアモデルを世界各国に押し付けた歴史的大失政にあり、その起因はカウッキーが当初執拗に主張していた歴史発展原則の無視にあったのではないか、今でも自分はそう思っている。民主主義を大切にしたカウッキーは間違っていなかった、自分はそう考えたい。

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