定年後の読書ノートより
あすかの石造物、奈良国立文化財研究所飛鳥資料館編
今年の春は、5月23日まで飛鳥資料館では特別展示「あすかの石造物」展が開催されています。興味深い展示です。是非ご一覧をお薦めします。

飛鳥には奇妙でユーモラスな石造物があちこちから次々と発掘されています。

大きな石の下からニューと顔を覗かせている亀石(左上写真)。この春人々をアッと驚かせた亀形石糟(右上写真)。

宇宙人の抽象彫刻かと、びっくりする酒船石。猿石とは実に良い名前をつけたと感心する韓国済州島石像とそっくりな目をした、ひょうきんな猿石姿。

飛鳥資料館前庭でその復元姿を見るまで、この石の中から噴水が吹き出てくるとは知らなかった須弥山石と石人像、この彫り物も眺めていると実に味がある。

岩石に入ったひび割れの為、加工を中断ナイル東岸に捨てられたオベリスク巨石塔を想像させる益田岩船。有名な鬼の俎、雪隠。数え始めたらまだまだ幾つでも有る巨石群。

ひとつひとつを眺めているだけで心は温かく膨らんでくる。これを古人はどう語り、記録し、忘れていったのか。やがて石造物は土の中に深く消え去り、その一部は盗掘され、しかし突然、近代文明の曙と共に掘り出される。この本はこんなストーリーを読者に興味深く案内してくれる。韓国慶州、雁鴨池や鮑石亭の曲水宴から酒船石の起源を考察したり、日向国に流れ着いたインド人がはるばる飛鳥の地までやって来た話など、ぞくぞくと興味は広がっていく。

これらのひとつひとつの話は今も我々の目の前にある石造物を出発点として展開しているのであり、それは間違いなく空想話ではない。実感は手応え満点。

石人像のモデルはどんな異邦人だったろう。これらの石造物が歴史文献に登場するのは、僅か日本書紀等に過ぎないという。元明天皇陵の濠の堤防上にあった猿石は、日本書紀では鬼形石という名で記載されているそうだが、やがて猿石は南側の池田の田圃に転落埋没、それから500年、猿石は消息不明。元禄10年、奈良奉行玉井与左衛門氏猿石を池田で発見、明治になってアメリカ人ヒッチコック氏、猿石撮影、イースター島モアイ石像と酷似していると指摘、この辺から話はどんどん面白くなる。

あの奇妙な彫り物、酒船石は何の目的であのような彫刻が彫られているのか。多くの人々は醸造説を信じている。それは本居宣長の「菅笠日記」によるらしい。確かに、液体を幾つか流し込んで、混合溶液を調合したようにも見える。小説の世界で人々を驚かせたのは、松本清張氏「火の道」「ペルセポリスから飛鳥へ」。松本流古代史論。松本清張氏は飛鳥の石造物を体系的にとらえ直し、ペルシャのゾロアスター教拝火密議ハマオ酒薬物調合説を唱え、いよいよ大衆の興味に火がついた。

チョット気になる一節。「猿石は陵墓の前に置かれたこともあってか、次第に研究対象から離れていった」。これは遺跡発掘当局と宮内庁お役人との、ここには書けない複雑な事情を意味しているのかな。

とにかく面白い。この本の巻末には、石造物各個解説と史料抄がしっかり載っている。好きな人にはタマラナイ資料集。矢張り飛鳥は面白い。

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