定年後の読書ノートより
蘇我三代、飛鳥資料館、奈良国立文化財研究所
1995年10月飛鳥資料館では、秋期特別展示「蘇我三代」が開催された。我々はどういうわけか、仏教伝来、聖徳太子、大化の改新の歴史三大ストーリを天皇制確立曙史として理解し、蘇我氏は忠君愛国の士、中大兄皇子と中臣鎌子によって倒された悪党というイメージで潜在意識を作りあげてしまっている。

しかしこの展示はこうした浅薄な歴史認識を大幅に書き直してくれる。蘇我馬子の父稲目は、その系図で見ると欽明天皇、推古天皇、用明天皇、敏達天皇等の義父、又は祖父に相当し、聖徳太子の祖祖父に当たる。天皇に最も近い大豪族であり、その出自は538年、百済の聖明王から献じられた仏像、経論を欽明天皇は蘇我稲目に与えたと上宮聖徳法王帝説に記載されて始めて歴史文献に登場する。

蘇我氏とは何者か。明らかに天皇の一番近くを占めていた帰化人である。もっと極端に言えば、天皇血統には間違いなく蘇我氏の血が流れている。しかし歴史家達はひとつの掟を長く守ってきた。「蘇我氏をこれ以上詮索してはいけない」。

見瀬丸山古墳では、すでに祭られた欽明天皇石棺を横にどけて、稲目の実娘、馬子の実妹、推古天皇の母、聖徳太子の祖母、欽明天皇の妻、堅塩媛の石棺を、なんと蘇我氏の力で中央に据え付けなおしていたことが確認されたのは、1992年。ここに蘇我氏の天皇に対する権力姿勢がはっきりと伺われる。

帰化人は間違いなく大和朝廷中枢部に接近していたのである。あらためて天皇制とは何であったか、ひとつのヒントがここにも見出せる。

福沢諭吉は脱亜入欧で、朝鮮統治の思想的背景を作った。1909年義兵運動家安重根による伊藤博文暗殺、日本政府は直ちに日韓併合条約による韓国植民地化を進めた。こうした不幸な2国の歴史は、我々が作った現代の日韓関係である。しかし日本国天皇の血には明らかに韓国人の血がながれているという歴史的事実をもう一度再認識したら、福沢諭吉は何と言ったろう。

現代に生きる我々はもう少し、2国の不幸な歴史を冷静に見つめ直すことが、蘇我氏の真実を知ることによって可能になるのではなかろうか。

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