定年後の読書ノート
現代史編によるバングラデシュ史、岩波講座世界歴史、岩波書店
第2次世界大戦開戦と同時にイギリス植民地であるインドは自動的に参戦国となる。会議派は反戦態度を明らかにし、イギリス人インド退去要求闘争「インドを立去れ」運動を展開、ガンディは逮捕、投獄。一方ムスリム連盟はパキスタン独立要求決議を採択、対英協力方針で党勢拡大。

大戦当初非合法インド共産党は、反戦と「民族解放達成の為に戦争の危機を革命的に利用する」と提起。独ソ開戦後は反ファシズム人民闘争の段階に入ったとして、「人民の利益」を基準に、「協力出来る場合は協力し、抵抗すべき場合は抵抗する」方針に切り替え、人民勢力参戦による英国の戦争努力に協力、合法政党となる。

1942年8月会議派メンバーとして、共産党は会議派とムスリム連盟との統一を基礎とする民族の統一を提唱、多民族統一に関する重要決議を行い反ファシズム人民統一戦線確立を果たした。この成果をもとに、ベンガル飢饉に対し、共産党は飢饉救援の為の民族の統一を結実する。

1947年植民地インドは、インドとパキスタンに分離独立する。イギリス・会議派・ムスリム連盟間の独立に関する政治駆け引きの中で、共産党は自己の多民族論への原則的確信が結果として党の弾圧という結果を招き、独立後の主力勢力とはなり得なかった。

インド独立後、会議派政権は、土地改革を進めるが、それは地主、富裕層を強化するだけに終る。5ヶ年計画もタータ、ビルラ等大資本を富ませる結果となる。野党指導者の大量逮捕、労働争議の禁止等インド型ファッシズム支配により、インド議会制民主主義は形骸化していく。労働者の前衛であるべきインド共産党はソ連派と、自主独立派に分裂、中ソ対立をそのままインド国内に持ち込んだ共産党は、不幸な分裂状態を続ける。

一方、ジンナーに率いられたパキスタンは、イスラムを統一原理とし、東西2つの形となって発足したが、ムスリム連盟はジンナー他界後分裂。西パキスタンはウラマーと地主によるパキスタン人民党が、東パキスタンではアワミ連盟が政権を握る。

西パキスタンによる外貨吸い上げ構造と中央からの締め出しに不満を持つアワミ連盟はインドの支援で1971年バングラデシュとして独立。独立後社会不安を強権発動で乗り切ろうとしたムジブル・ラーマンは1975年軍事クーデタで暗殺。新政権ジアウル・ラーマンは言語的、領域的、イスラム・ナショナリズムを掲げ国内対立の妥協を図った。1982年再びクーデタによりエルシャドが権力把握、強権政治を行う。これに反対し、アワミ連盟とBNPは反エルシャド民主化運動を展開。1991年BNPジアウル・ラーマン夫人カレダ・ジアは民間主導の経済政策を進め、軍事政権下で混乱した社会と経済の立て直しを図り今日に至る。

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