ダ・ヴィンチ・コード       ダン・ブラウン著       ロン・ハワード監督

この映画の前哨戦は綿密な戦略が練られていたと推察される。例の殺し文句「ダ・ヴィンチはその微笑に何を仕組んだか」という印象的なキャッチフレーズそのものは映画制作者に向けられるべき言葉である。

 

 

映画は例のガラスピラミッドの夜のルーブル美術館館内部が写され、ここで館長殺人事件が起きる。そして、館長の死体横に書き残された謎の暗号がこの映画の謎解きである。執拗なフランス司法警察の追跡。しかし、犯人は狂気の怪人で、執拗にまた次の殺人事件を起こそうと精進を重ねている。しかし、警部の思い違いから、フランス司法警察に追われる立場になってしまった館長の娘と、宗教象徴学といううさんくさい学問をやっている大学教授の2人は彼らの追及を逃げながら、真犯人は誰か、暗号解読を進めていく。

 

一体この映画、このストーリ、なんて観客を馬鹿にしたドタバタ探偵劇かと怒りに似た疑問が沸いてくる。次第にテンポが速いストーリの中で、話の仕組みが見えてくる。

この映画はキリストとフリー・メイソンの対決話だった。

 

殺されたキリストには、実は妻がいて、子供がいた。その秘密は影の集団によって現代にまで秘密にされてきた。彼ら秘密結社とは十字軍当時には一国の王をも動かした権力を持っていた。その秘密結社の一人であった、天才画家ダ・ヴィンチは密かに彼の名作「最後の晩餐」にこの秘密を描き残していた。すなわちキリストが最後の晩餐で手にした聖杯とは、実は、キリストとマグダラのマリアと間に出来た子供のことであり、このことは長く秘密にされてきた。何故なら、キリストは神であり、人間ではないとの教えの前に、その子孫の存在など絶対に許されてはならないから。

 

しかし、この秘密結社には、敵対する幾つかの集団があり、これ等秘密結社間には、現代に生きるフリー・メイソンとして、戦いと犠牲は結社の当然のモラルであった。 これが入り組んで、ルーブル美術館館長殺人事件真相の背景となっている。

 

キリスト教信者にとって、聖書の幾つかの記述の中に、この映画のキーワードに通じる鍵があり、ハッと胸に迫るものがあるのだろう。しかし、聖書と距離をおく我々には、この映画の面白さが、ピーンと来ない。

これはあたかも「聖徳太子は実在人物ではない」という歴史ミステリーと同じで、歴史に通じる者にとっては興味深いテーマかもしれないが、歴史から一定の距離をおく人間とって、興味が持てない映画である。矢張り、自分はPR戦略にだまされてこの映画を観てしまったと思った。

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