デカルト「方法序説」をフランス語で読み、内容を注意深く熟読する。

Je ne sais si je dois vous entretenir des premieres meditations que j'y ai faites; car elles sont si metaphysiques et si peu communes, qu'elles ne seront peut-etre pas au gout de tout le monde : et [157] toutefois, afin qu'on puisse juger si les fondements que j'ai pris sont assez fermes, je me trouve en quelque faccon contraint d'en parler. J'avois des long-temps remarque que pour les murs il est besoin quelquefois de suivre des opinions qu'on sait etre fort incertaines, tout de meme que si elles etoient indubitables, ainsi qu'il a ete dit ci-dessus : mais pourcequ'alors je desirois vaquer seulement a la recherche de la verite, je pensai qu'il falloit que je fisse tout le contraire, et que je rejetasse comme absolument faux tout ce en quoi je pourrois imaginer le moindre doute, afin de voir s'il ne resteroit point apres cela quelque chose en ma creance qui fut entierement indubitable.

私 この地でなしとげた最初の考察を、皆様にお話すべきかどうか、自分でも判りません。何故ならば、それらは形而上学的であり、一般的では有りませんし、世間一般の好みにはとうていあいません。しかしながら、私が選んだところの基礎基盤は十分に堅牢なものであるどうか、皆様に判断して頂くには、これについて語ることが、ある意味では私の義務だと気がつきました。

生き方について、明らかにはっきりしない意見でも、疑う余地なしと思う場合と同様に、時にはその意見に従う必要があるものだと私はずっと考えてきました、このことは以前にも述べた通りです。しかしながら当時は、私は真理の追究のみに関わりたいと思っておりましたので、正反対のことをするには気が進みませんでした。

ほんの少しでも疑いをかけうるものは、総て絶対的に誤りであるとしてこれを退け、その後自分の中にもう疑いはない何かが残るかどうか、見極めなければなりません。

(読後メモ)デカルトは、当時ラテン語一色の哲学著作界で、唯一人フランス語で、しかもあの難解な哲学用語は一切使わずに、「方法序説」を書き上げた。これは明らかに、デカルトの反体制意識の現れでもある。

デカルトがここであげている形而上学的考察とは、「理性的霊魂」を重んずるプラトン主義的発想に基いて、神の存在と霊魂不滅の証明を理性の審判にかけることであった。1633年ガリレオ地動説に対する教会権力による断罪事件はデカルトにとって衝撃的であった。「自分の原稿はみんな燃やしてしまおう」と深刻に考えていたようだ。デカルトは、教会と闘うほど強くはないが、しかし発展する科学を信ずる立場から理性の尊厳を世間に明確にしておきたかったのだろう。

封建的支配権力から、自己を守る手だてとして、教会に対する妥協を確保することはデカルトが選んだ最終判断であり、そんな経過がこの文章からも伺われる。理性=科学を愛する意味でデカルトは唯物論者であり、教会と妥協し、神の存在を理論付ける意味ではデカルトは観念論者であった。

デカルトの神の存在理論とは、世界の本源を物質と精神という二つの実体をみとめる二元論であり、その論理構造となっているのは「我思う、故に我有り」というコトギである。物心二元論はこの時代デカルトが選択せざるを得ない、ギリギリの理性=科学尊重の線であり、ここには動揺するデカルトの苦渋の教会権力との葛藤がある。

Ainsi, a cause que nos sens nous trompent quelquefois, je voulus supposer qu'il n'y avoit aucune chose qui fut telle qu'ils nous la font imaginer; et parcequ'il y a des hommes qui se meprennent en raisonnant, meme touchant les plus simples matieres de geometrie, et y font des paralogismes, jugeant que j'etois sujet a faillir autant qu'aucun autre, je rejetai comme fausses toutes les raisons que j'avois prises auparavant pour demonstrations; et enfin, considerant que toutes les memes pensees que nous avons etant eveilles nous peuvent aussi venir quand nous dormons, sans qu'il y en ait aucune pour lors qui soit vraie, je me resolus de feindre que toutes les choses qui m'etoient jamais entrees en l'esprit [158] n'etoient non plus vraies que les illusions de mes songes. Mais aussitot apres je pris garde que, pendant que je voulois ainsi penser que tout etoit faux, il falloit necessairement que moi qui le pensois fusse quelque chose; et remarquant que cette verite, _je pense, donc je suis_, etoit si ferme et si assuree, que toutes les plus extravagantes suppositions des sceptiques n'etoient pas capables de l'ebranler, je jugeai que je pouvais la recevoir sans scrupule pour le premier principe de la philosophie que je cherchois.

感覚は時には私達を欺くから、感覚が想像させるもののとおりのときは、何も存在しないと想定しようとした。次に幾何学の最も単純なことがらについてさえも、推論を間違えて背理におちいる人がいるのだから、自分も、他の人の場合と同じく、間違いを犯しかねないと判断して、以前には論証として見なしていたすべての論拠を虚偽として捨ててしまった。

最後に我々が眠っているときにも、覚めている時に持つと同じ、すべての思想が現れてくるが、その場合、真であるものは、ひとつもないことを考えて、それまで自分の精神の中に入っていた総ての事柄を、夢の幻想と同じように真でないと仮定しようと決めた。

しかし、その直ぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このように総てを虚偽と考えようとする間にも、この私は、必然的に何者かでなければならない。そして「私は考える、ゆえに私は存在する」というこの真理を、懐疑論者達はどんな途方もない想定といえども、揺るがしえない、堅固で、確実なものを認め、この真理を哲学の第1原理として、ためらうことなく受け入れられると判断した。

<読後メモ>

デカルトは「感覚は信頼出来ない」「信頼出来るのは理性だけだ」として、感覚だけでは真理は認識できないとした。この問題に関して、唯物論では、思考によって得られる認識が信頼できるのは、感覚的な認識を基礎とするからだとし、デカルトの感覚不信は誤りであるとしている。

デカルトの神の存在と霊魂不滅の証明は、理性的霊魂=ワレの存在から出発して神の存在に至る。デカルトのコトギとは「身体とは区別された思惟を本性とする実体の存在を、いかなる物質的なものに依存しないことを認識し、このワレ、すなわち私を私たらしめている霊魂は、身体とはまったく区別されるのみならず、身体よりもはるかに容易に認識され、たとえ身体がなかっても存在する」という物質と精神の両方の本源を認める二元論を導いた。

デカルトにおける実体とは、それ自身によって存在するもの、その存在のために他物を必要としないものと定義している。従って神はデカルトにとって実体であるが、彼は物質と神とを実体と認め、物質と精神とを相互に独立なものと考えた。唯物論では物質を唯一の実体と見る。ここに観念論と唯物論の本質的な違いが明確になる。

Puis, examinant avec attention ce que j'etois, et voyant que je pouvois feindre que je n'avois aucun corps, et qu'il n'y avoit aucun monde ni aucun lieu ou je fusse; mais que je ne pouvois pas feindre pour cela que je n'etois point; et qu'au contraire de cela meme que je pensois a douter de la verite des autres choses, il suivoit tres evidemment et tres certainement que j'etois; au lieu que si j'eusse seulement cesse de penser, encore que tout le reste de ce que j'avois jamais imagine eut ete vrai, je n'avois aucune raison de croire que j'eusse ete; je connus de la que j'etois une substance dont toute l'essence ou la nature n'est que de penser, et qui pour etre n'a besoin d'aucun lieu ni ne depend d'aucune chose materielle; en sorte que ce moi, c'est-a-dire l'ame, par laquelle je suis ce que je suis, est entierement distincte du corps, et meme qu'elle [159] est plus aisee a connoitre que lui, et qu'encore qu'il ne fut point, elle ne lairroit [sic] pas d'etre tout ce qu'elle est.

それから、私とは何かを注意深く検討し、次のことを確認した。どんな身体も、どんな世界も、自分がいるどんな場所もないと仮想出来るが、だからといって、自分は存在しないとは仮想出来ない。反対に、自分が、他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、きわめて明証的に、極めて確実に私は存在することを帰結する。逆に、ただ、私が考えることを止めるだけで、仮にかって想像したすべての他のものが真であっても、私が存在したという信じるいかなる理由もなくなる。これらのことから、私は次のことを知った。

私はひとつの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけであって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものも依存しないと。したがって、この私、すなわち私を、今存在するものにしている魂は、身体からまったく区別され、しかも身体より認識しやすく、例え身体が無かったとしても、完全に今あるままのものであることに変りない。

読後メモ)

これ以後デカルトは、不完全である自分と、完全なものの観念もまた私の内にあることは確かであり、しかもそれは不完全な私によって生み出されるはずがなく、だとすれば、それは完全である存在者、すなわち神によって私の心に刻みこまれたものでなければならない。かくして神の存在が証明されるとしているが、ここでの仏文対訳は省略した。

物質と精神とをそれぞれ独立の本源としたデカルトの二元論は、結局精神に重点がおかれ、観念論が優位をしめている。宗教との妥協を選択したデカルトにとっては、当然の結果である。

デカルトは、方法序説の書き出しに「世界の物のうちで最も公平に分配されているものは良識である」と書き、当時教会権力に虐げられていた無名の大衆に良識=理性の覚醒を呼びかけ、知のデモクラシーを唱えている。デカルトは理性=科学を擁護する知識人としては唯物論者であった。彼の自然学はその流れであり、この流れはその後スランス唯物論にそれなりの影響を与えている。

しかし、デカルトはここで見るように、物質とともに神も実体として本源的なものとし観念論者として宗教に妥協している。17世紀のこうした混乱の後に、18世紀前半イギリスの唯物論がフランスに入ってきて結合し、やがて偉大なるフランス唯物論が確立されていく。

(ここでのフランス語対訳、前半は自分で辞書を頼りに挑戦したが、後半一部は岩波文庫より写させて頂いた)



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