定年後の読書ノートより
人生回廊―高齢社会を生きる知恵、読売新聞社編、中央公論新社
人生中間地点を過ぎたあと、人はどう生きるか。人生80年時代、人それぞれの哲学があり、メッセージがある。読売新聞にて、各界名士に、人生の午後を短く語ってもらう企画は大成功、1冊の本に出版された。多くの名士の発言の中から、医療の民主化に徹した若月俊一氏と、介護と女優業を成し遂げた南田洋子の人生が一番光っているように思った。

若月俊一氏の人生

私にはいいかげんなところがある。東大医学生時代、婚約中の家内と水盃を交わし、党活動街頭連絡に出た。結局約束時間に20分おくれ、党への裏切りとなった。怖かったんですね。入党すれば、警察に捕まって、もしかしたら死んでしまう時代でした。モチロン私はわざと約束時間に遅れたのです。

兵隊では赤い学生は、軍医中尉にはなれなかった。労働災害の研究したら治安維持法で留置所に1年。終戦直前ここ佐久病院に来ました。高度経済成長のころは、公害とか農業汚染に反対しながら、成長の波にのって病院をどんどん大きくしてきました。一方で反対を、他方で病院拡大、思えばずるいやり方でした。

南田洋子氏

義父沢村国太郎の介護を14年間やってきました。痴呆症、寝たきりでしたが、頭ははっきりしてました。父を子供扱いにする介護専門家に代り、下の世話から汚物の処理まで、すべて私がやりました。決断までには葛藤がありました。嫁に夫の介護を任せる姑の心境を思うと複雑でした。「自分の親を見限ってでも嫁ぎ先の親を看ることが、嫁の宿命」。実母の一言で肩をおされました。派手な芸能界と介護の激務、身体がへとへとになるまで頑張りました。今は思い出です。

短い人生記の中に、教えられる言葉が一杯ある。

老後をどう生きるか。刻々と変化衰退していく体調、頭脳、精神状態。老人は文句なしに汚い、臭い、老醜をどんなに隠そうとしても、それは不可能だ。老醜は隠せない。

しかし、時々光っている人に出会うことがある。その人が何故光っているのか、そこを知りたい。高校時代、毎日目黒区立守屋図書館に通った。あの頃、図書館で1人の光っている老人を見た。毎日黙々と本を読んでいた。読むと言うより、本に没入しているような読み方だった。すごいと思った。自分が年老いたらあんな老人になって、若い頃読み切れなかった本も含めてトコトン読んでみたいと思った。あの老人のように、本に取りつかれて、一心に本の世界に没入してみたいと思った。今自分はその年になった。あの老人の後姿が時々思い出される。

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