定年後の読書ノートより
反ファシズム運動―ドイツとフランス、横田地弘著、岩波世界史講座28
1930年代のドイツとフランスの反ファシズム運動、そこにはドイツにおける地下運動型とフランスにおける大衆運動型の2つの流れがある。

ドイツにおける反ファシズム運動

ヒトラー連立内閣は1933年1月に成立。労働者2大政党はどのように「戦わずして」ナチ権力に屈したか。

ドイツ社会民主党は、慎重な合法主義を守って譲歩を重ねながら、ナチ政権の合憲性に期待を寄せていた。3月には反ナチ選挙で反撃の機会が来るに違いないと待機していた。指導者には自然進化的思考傾向が強く、決断、自発性の意識が弱かった。

ドイツ共産党は、ナチと闘うよりもコミンテルンの政策にそって社会民主党を「社会ファシスト」と断罪し攻撃していた。2月27日国会放火事件はナチは共産党の犯行とし、一切の政治活動を禁止した。

両党非合法下では、反ファシズム闘争は、地下グループによる自主闘争にならざるを得なかった。戦争が開始された時、国内100以上の強制収容所には、約30万のドイツ人拘禁者で満ちそのうち数十万人の消息は絶たれた。犠牲者が恐るべき数に上がった理由は、ナチ体制に熱狂する大衆的組織の存在を否定出来ない。行動を決意することはナチの残虐な責苦の覚悟なしには不可能であった。

フランスの反ファシズム運動

「人民戦線」運動は、1935年に成立した。社共統一の実践的イニシアティブは、コミンテルンからきたのではなく、両政党の下部の活動家から強まった。2大労組は組織の統一を実現した。1936年の総選挙は、人民戦線派に勝利をもたらした。

ブルム内閣は人民戦線内閣と呼ばれた。しかし反ファシズムはかなり目的を達したが、社会、経済問題では資本家側の反撃を招いた。ブルム内閣を崩壊させたのは、資本家勢力であった。しかし、この経験の中から、大衆運動の結合によって切り開かれた改革の力が戦後に受け継がれることになる。

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