定年後の読書ノートより

アウシュビッツで考えたこと、宮田光雄著、みすず書房
著者は人民の良心は、どのようにナチス強制収容所と闘ってきたかを尋ね歩く。キリスト教を信ずる著者は、人間は自分の良心を守りきることが出来ると堅く信じている。ノルウエーでは、ナチスと闘った教職員組合の歴史実話を詳しく紹介されている。

大戦中多くの神父達も矢張りナチス残虐性と戦い、強制収容所にて虐殺されていった。神父達の戦いは正しく生きようとする人間だけが持つ高い倫理性に支えられていた。

アウシュビッツ強制収容所はナチスの狂気の象徴である。人間はどこまで非人間的でありうるか、ひとつの政治的実験でもあった。アウシュビッツで人間に加えられた残虐性の極致は、健全な人間の理解力を超えている。

一方アウシュビッツ収容所長ヘスは家族の行末を案ずる善良な一人の人間であった。人類史のかって知らないほどの冷徹な殺戮機構は、こうした平凡な人間達によって担われていた。アウシュビッツで生じたことは、今後の世界でもいつ何時起こりえないという保証はない。

最後に私自身の実感をひとこと

ヒットラーの台頭を正面から拒否したのはコムニストだけであった。ヒットラーの地獄からドイツ国民を救い出したのは、英雄的なナチス反撃戦を闘ったソ連赤軍であった。あの地獄のヨーロッパ戦線にて歴史的に光輝いたのは社会主義に帰属する正義ではなかったか

社会主義とはあたかもマルクスが呼び出した悪霊かの如き誹謗を続けている札幌大学W先生。うんざりするW氏の社会主義誹謗シリーズを読むたびに、第2次世界大戦にて、本当に人民を救ったのは社会主義の力ではなかったかと、W氏につきつけたい。

一方、こうした英雄的な歴史を経ていながら、どうして社会主義は大きな挫折に立ち往生してしまったのか。それは社会主義を支えるべき人民の中に、真実の民主主義が築かれて居なかった為である。その結果、幾つかの独裁をゆるし、歴史的失敗を重ね、大国覇権すら許してしまった。

ドイツ大統領バイゼッカーは、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目である」と、演説した。この演説を貴方はどう捉えますか。

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