定年後の読書ノートより
いい一生とは何か、 諸井 薫 著、角川書店
著者には申し訳ないが、たまたまタイトルが面白いのでこの本を手にした。著者について予備知識が何かあったわけではない。定年後、4年たった男の微妙な気持ちをうまく表現している。著者の言葉で綴ってみる。

どういう一生がいい一生だろうか。晩年転げ落ちる人を見ていると、他人事ながら胸が痛む。ハンで押したように健康を害するところをみるとストレスは容易ではなかろうと伺われる。こうした人は総じて上昇志向が強く、負けん気で、自負心が強い抜きん出て上がった分、加速をつけて墜落する。人間にとって、晩年の幸福とはいったいなんなのだろうか。

サラリーマンをやめてそろそろ4年になる。身辺にさまざまな変化がおきたが、なかんずく顕著なのは、服装がずぼらになったことだ。しかし見栄も体裁もすべてかなぐり捨てて、ホームレスよろしく、とことん構わなくなれる勇気はまだない。老いの醜をさらしたくない。老人特有の醜を身辺に増殖すまいという懸命の思いはある。

人間長生きすることは良いことだろうか。長寿必ずしも目出度くない。老醜は醜い。60を過ぎれば身体のたるみは顕著になるし、シミは増え、老臭は忍びよってくる。老化とは醜化である。老人はひっそりと慎み深く、掟を越えない範囲で気をつかってくらすのが、老者のたしなみというものではないか。

死生観などという大層な覚悟とは無関係に、ただ死にたくないと思う。自分を頼みにしている人間が多くなってくると、急にこの世から消える真似だけはしたくないと思う。しかし係累が自分で自立出来るようになってくれば、いつ逝ってもいいと、負け惜しみではなくそう思う。死神がいつ現われても、たじろくこともなく、ごく自然に気張らず、そうなった時は、そうなっただけでしょうがないと思う

いい年をして、生活費のためにうろうろするだけの余生を、なんで生きなければならないのか。世間から「不要」のレッテルを貼られたとしても、お迎えが来るまで、誰の世話にもならず、優雅にやっていけるなら、格別死に急ぐつもりもない。顧みて、己が人生、どうやらパッとしないまま終りそうなのは、ひとえに自分が救いようのない不精者のせいだと認めないわけにはいかない。

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