定年後の読書ノートより
遺跡の旅 シルクロード、井上靖歴史紀行文集第3巻、岩波書店
井上靖氏がタシケント、ブハラ、サルマカンドを訪ねたのは1965年だった。氏は学生時代から一番行きたいアジアの街は、サルマカンドであったとその年の元旦朝日新聞に書いている。その当時ウズベキスタンはソ連領内の一共和国であり、綿花産出を資源として、ソ連は急激にインフラ投資を重ね、町は街路樹と新しい建物の建設に忙しかった。

タシケントは、砂漠の都市とは思えない程に整備された大都会だと井上氏は書いている。人々は夜の町の明るさを愉しみ、緑豊かな街路樹が美しく、噴水も豊富であった。国立大学があり、中央機関があり、研究所が並ぶ。考古学資料館にはナポイの詩集が目の覚めるような刺繍に彩られて保存されていた。

ブハラは2千年の歴史を持つ砂漠のオアシス都市。幾つかの人種が混ざり合い溶け合っている。歴史的には、8世紀アラブ侵入によりブハラに文化を築いてきた古代ソクド人はその城砦と共に完全に破壊つくされてしまった。9世紀におきたサマン朝にかわって遊牧民のカハラン朝、モンゴル、14世紀のチムール朝、ウズベク人のシャイパニ朝、17世紀のアスターハン朝、最後のタンギート朝そしてロシア革命。1220年ジンギスカンに率いられたモンゴル軍は抵抗したブハラ市民を一人残らず殴殺し尽くしジンギスカンは回教寺院を厩舎にして、狼藉の極みを尽くした。

中央アジアで一番古い街はサマルカンド、アレキサンダー侵攻により、全市破壊され、千年間は死の街であった。8世紀アラブの侵入でソクド人は殺し尽くされ、苦しみ、殺しつくされ、第3回目の悲運は1220年モンゴル侵入でまたしても殺戮を受ける。14世紀、中央アジアにチムール王朝出現、全コーカサスを傘下とする帝国を築いた。サマルカンドは、世界的貿易都市であり、文化都市であった。シャー・イ・ジンダ廟群、ビビ・ハヌィム寺院、レギスタン、ウルグ・ベク天文台そしてチムールの墓を井上靖氏はゆっくりと訪れる。

来月自分は、JICAよりタシケント国立大学に出かける。井上靖氏の紀行文は、前回読んだ加藤周一氏の紀行文と共に、異国の雰囲気を醸しだしてくれる。私も異国の雰囲気を幾つかのスケッチに残してくるのが、何よりの楽しみである

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