定年後の読書ノートより
ユマニストのいやしさ、渡辺一夫著、筑摩書房
この作品が書かれてたのは1942年。敗戦間近、いきり立つ権力の前に、知識人は息を殺す。16世紀カトリックに抗したエラスムスやラブレー等をフランスではユマニストと呼ぶ。「ヒューマニストのいやしさ」このタイトルにこめられたメッセージは戦時下知識人に対し兎に角生き延びようとの問いかけである。

ユマニストラブレーは1535年、恩人デスチサックに送った金無心の書簡に幾つかの嘘が隠されている。ラブレーは自らの失態を隠し、あくまで面子を保ち書簡を書き上げた。ラブレーのこの態度は、我々がややもするば抱きやすいユマニストの豪快な像すらも揺るがすものがある。当然ながら我々の中に落胆に似た気持ちが生まれることも免れない。

渡辺先生曰く。この<いやしさ>は不可避、不可欠なのだ。おのれが生きる為、いや何者かを生かすためには、生きるおのれは、一見利己のかたちをとりながら、大いなるものへ没入やもうえなかったのではないか

人間はいかなる口実にせよ現実を生きんがために理屈を考え出す。人間はまた、我が身の焼失死滅の必然を、まだ真実と思わぬ無神経さと死を恐怖する弱さを混ぜ合わせ、しかも幸福を求めながら生きて行く。人間とはそういう者だ。

「人間は滅び得るものだ。そうかも知れぬ。しかし、抵抗しながら滅びようではないか?そして、もし虚無が我々の為に保留されてあるものとしても、それが正しいというようなことにはならないようにしよう」

渡辺先生曰く、ユマニストにもきっとこの心はあった。そう信じないと彼等行動が全て不可解になってくる、と。

最後に1969年の追記として、渡辺先生自虐的に呟く。結局自分は「ひかれ者の小唄」しか歌えなかった。

しかし私は思う。きっとこの1文、当時の知識人に大きな感動を与えたに違いない。「そうだ、自分も一生懸命生きよう。きっといつかはこの戦争も終る」と密かにそう決意したに違いない。それにしてもなんと深い考察だ。

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