定年後の読書ノートより
信州に上医ありー若月俊一と佐久病院、南木佳士著、岩波書店
自分が、信州佐久病院と名医若月俊一先生を知ったのは司馬遼太郎「街道をゆく」第6巻「信州佐久平みち」を読んだ時だった。「街道をゆく」では、司馬遼太郎の友人「詩人ぬやまひろし氏」を佐久病院に見舞っている。司馬さんはこんな紹介を「街道をゆく」の中で書いている。

臼田町にある佐久総合病院は農村医療で世界的に有名な病院で、院長さんが朝日賞をもらったり、最近ではマグサイサイ賞を貰ったりして、世間に知られはじめている。院長さんがこの佐久で医療を始めたのはじつに古い。昨日今日の付け焼刃ではなく、古くから医師と患者との信頼関係を結んでこられ、それだけに、ここがどういう病院であるかが想像できる。

実は自分もこの病院を一目見たいと、1989年の夏、志賀高原フランス講座への道すがら、小海線に乗って佐久病院を訪ねたことがあった。山の中に突然すごい巨大病院が現れたことを記憶している。

「街道をゆく」を読んだ時、若月俊一氏が東大時代治安維持法で1年も留置所に留めおかれた経歴の持ち主だったとは知らなかった。本書著者南木佳士氏は、若月氏に魅せられ、秋田大医学部を卒業後40年間を佐久病院に勤め、若月先生を生涯の師としてその人間の大きさに敬服の念を抱き続けてきた。

若月氏は東大時代、2度の逮捕で、2度の転向を強いられている。氏の魅力は、2度の転向にも何の暗さも、自己を責める陰湿さもなく、「僕はずるい人間ですよ」と、今も生きるのにしたたかな自分と、インテリとしてのもう1人の自分との2重構造を、自信を持って表現される明るさが素晴らしい。

こうした生き方が基礎にあってこそ、戦後いち早く、農村医療に目覚め、アカの病院と村民の陰口と共に、こんな山村に東大出の外科先生がみえたという悦びの声をいつも耳にしながら60年の医療生活を重ねてこられた。

司馬遼太郎氏は残念ながら、院長若月氏とは病院でお会いする機会は無かったようだ。もし司馬遼太郎氏と若月俊一氏が出会い、会話を交わすことがあったとしたら、どんな対面になったろうかと、想像するだけで胸が高まってくる。

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