定年後の読書ノートより
「ウズベック紀行」再読、加藤周一、平凡社
1月前にウズベキスタンから帰国した。加藤周一氏は1958年ウズベキスタンを訪問し「ウズベック紀行」を書いている。氏の社会主義国像は、本当に正しかったのか、加藤周一氏著「ウスベック紀行」を再読し、もう一度氏の洞察眼を確認したくなった。

ウズベキスタンを囲む「飢餓のステップ」とは、大規模な灌漑によらなければ水がない砂漠地であり、たとえ灌漑しても土地に塩分が多く綿の栽培が困難な砂漠である。このステップを灌漑して農地に転換していった社会主義国計画経済を、加藤氏は未来性があると位置づけている。灌漑によって50年後、ウラル海は死の海と化し、灌漑農地は綿作モノカルチャーに特化したため、この歪みに独立後のウズベキスタンは苦しんでいる。しかし、灌漑プロジェクトは社会主義なればこそ出来た事業であり、ここに焦点をしぼった加藤氏の洞察眼は鋭かった。ただ計画経済の遂行は、多くの意見を総合する民主的な討議を基礎としてこなかったことをここでも露呈した。民主主義のない計画経済は破綻する。

「軽工業、消費財生産には、資本主義的競争に利点がる。計画経済では、衣料製品多様化は円滑に行かない」と加藤氏は書いている。この指摘は今のウズベキスタンにもそのまま当てはまる。計画経済はあくまで生産者志向からスタートするという必然性はあり、消費者志向を持たない消費物資には、国民は要求を満足しない。ウズベキスタン消費者は自国の衣料製品を今も買わず、外国から輸入される衣料製品に消費者の要求は集中している。

加藤氏は書いている。「革命前の中央アジアには、文盲の民と遊牧の生活と伝染病があった。学校教育と高度の農業技術と伝染病の克服および平均寿命の延長は、あきらかに社会主義の功績である。社会主義は生活程度を高める、しかし一般教育程度が高くなると、それは内側から社会主義に一定の変化を迫る動機となる。」加藤氏のこの指摘は結果として社会主義崩壊という結論を予測していたともいえる。加藤氏は当時冷静に社会主義を見つめていた。我々は加藤氏の深い洞察を今こそしっかりと受け止めるべきであろう。

社会主義国では、性が表面に出てこない。エロティシズムを売り物とした見世物もない。そうなると社会の空気そのものが、清潔で、健康で、機械体操的朗らかさにみちてきて、道行く婦人もいわゆる性的魅力を発揮しなくなるから奇妙である、心理的なものが社会にどれほど左右されるか、社会主義の哲学では、人間の活動を社会の面から説明しきろうとするのは事のなりゆきの必然だろうと加藤氏は書く。

キリスト教は近代的な文化とむすびつき、そのあとで来た社会主義は、その個人主義に支えられ、個人主義的な文化の一切を武器とした。ところが回教は個人主義と近代的技術のない社会に旧態を保存していた。近代的なもの一切が回教の手の中にはなく、キリスト教、社会主義の手の中にあることを発見した。社会主義にとって個人主義は防壁であるが、回教にとっては近代の全てが敵対するものとなる。

社会主義は少数民族の文化を圧迫するどころか、それを堀りおこし、ほころびかけているものを保存し、その発展を鼓舞しようとしている。強大な先進国とおくれた少数民族との接触は、多くの場合に植民地主義の形をとってきたが、この場合には、接触の質が植民地主義とちがう。おそらく社会主義の功績のもっとも大きなものの一つだろうと加藤氏は書く。

西側でのソ連邦に関する通念は空想的なものが多いが、逆にソ連市民の資本主義に関する知識も貧しい。そして具体的な知識に乏しければ乏しいほど、物事を単純に図式化する傾向が強くあらわれざるをえないのである。

こうした加藤氏の含蓄ある言葉は、過日、ウズベキスタンの経済と教育問題に、JICA出張で真剣に取り組んできた自分には、教えられることばかりである。あらためて深く加藤周一氏の深い洞察力に敬意を表するものである。

偉大な先輩達の苦しみながら登った坂を、我々は容易に車で通り抜けられるからと言って、この坂の難しさに無関心であってはならない。我々はいつも先輩達の教えを学びたい。

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