定年後の読書ノートより
機械のなかの青春、佐多稲子著、角川小説新書(昭和30年初版)
古本屋で見つけ、一気に読んだ。紡績工場に働く女子労働者の青春の息ぶきを実に生き生きと書いている。「あとがき」によれば、佐多稲子自身、この小説を書く為、紡績工場にて彼女達と一緒に長く生活を共にしたそうで、この生き生きとした生活感は、工場女子寮の実感の中から身につけたという。当時世間は彼女達を紡績女工と呼んだ。しかし彼女達の実生活は汗と埃、貧しさ故に足元を揺るがし続ける激しい労働と劣等感、揺れ動く微妙な乙女意識、むせ返るような青春、工場の耳をつんざく騒音、張り詰めた緊張感と女としての自覚、正に「機械のなかの青春」だった。

思えば、高校3年間、社会科学への目が次第に開けていく自分にとって、大きな衝撃は3つあった。第1は柳田謙十郎から学んだ労働者の哲学、第2は宮本顕治の「敗北の文学」と、宮本百合子全集を通じて知った労働者の文学。そして第3は自分の将来を決定つけた1冊、当時呉羽紡績労組文化部が発行した詩集「機械の中の青春」だった。

紡績女工という蔑みの響きを持つこの言葉の裏には、こんな世間を跳ね飛ばすような、はつらつとした闘う彼女達の青春があった。高校生の自分は決意した。「よし、自分も将来繊維の世界に入って生涯を働く人達と一緒に生きていこう!」と。

この小説は、「あとがき」によれば、呉羽紡績労組が発行したこの1冊の詩集を下敷きにして書き上げたとしている。詩集「機械の中の青春」と小説「機械のなかの青春」は同じテーマを追い続けた、表裏となる双子作品でもある。

自分は生涯を繊維産業に関連してに生きた。呉羽・東洋紡績の20年間で学んできた日本の紡績産業の歴史的変革。

紡績は合成繊維へと技術的変革をとげ、東南アジアを中心に大きな輸出産業に成長した。自分は一貫して技術革新の最先端に立ち続けることができた。そして続く豊田自動織機の20年間、著しい経済発展をとげた東南アジア諸国に向けて繊維機械を輸出し続ける豊田織機の設計第1課長として仕事は面白かった。定年間際に担当した、トヨタ産業技術記念館では、日本の繊維産業技術発展史を英国産業革命から説き下ろし追い続けることも出来た。マンチェスターも見た。ミュンヘン博物館も見た。

自分は現役時代労組運動も政治運動も一切関与せず、利術者として、技術一筋に、すなわち目の前の現実そのものに足をつけて歩いてきた積もりだ。我が道に今は後悔はない。しかし、例え技術一筋に歩いて来たとしても、心の中に燃え続けた炎は、1冊の詩集、「機械の中の青春」を読んで感動し、「よっし、自分も繊維に生きよう」と決意したあの高校時代の情熱であり、今もそうであることを、再確認させてくれる1冊であった。

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