定年後の読書ノートより
須坂の製糸業―生糸の歴史・技術・遺産―須坂市教育委員会
写真も多くとりいれ、上質紙230頁の立派な製本。須坂市町並案内処にて2千円で購入。須坂市はかって生糸製糸の町であり、suzakaはアメリカでは有名な絹のブランド名でもあった。

フランス人ブリューナによって、明治5年富岡製糸場開業。須坂からも多くの模範女工が富岡で学んだ。須坂の青木甚九郎・遠藤万作は明治7年器械製糸を開業、横浜に生糸を売り込んだ。イギリス経由ではなく、アメリカ直行を特長とした。

同じ頃牧茂助らも大蔵省勧業局の指導で製糸業に進出。品質の良くない座ぐり製糸に対し、品質優位な器械製糸が将来的であるとの勧業局の勧告あり、須坂の立地条件に適合した水車動力応用と周辺の広大な桑畑、豊富な若年女子労働者を背景に、問屋制家内工業で発足した製糸工場は明治の輸出中心産業としてその後大きく成長していった。

後の製糸王越寿一郎も須坂の立志伝中の1人。俊明社の外、東行社、信正社、高井社等ブランド名を持つ問屋も須坂に開業。当時の着物姿の女工運動会の写真や温泉慰安旅行の写真等貴重な歴史的写真も豊富に掲載、そして昭和の始め、ニューヨークに始る世界大不況の下で中小加工業者の続く倒産、企業閉鎖。しかし須坂の町には今も残る巨万の冨で築かれた大屋敷や繭倉の数々があり、そんな町並の様子を、かっての生糸盛んなりし頃との対比で興味深く見せる写真の数々。

技術篇、イタリー式ケンネル式に対し、フランス式共撚式。密着を高める為、より掛け数200〜300回、長さ12cmくらい。フランス式は糸の太さによって変る糸道で糸質判別可。しかし品質安定するが、操業性ではイタリー式ケンネル式が優れる。

以下キーワードによる技術キーポイント。蚕の絹糸速度1秒間に1cm、2日間で紡出。1粒2g。繭糸長は明治時代600m、現代1500m。太さ3d前後。75%のフィブロンと25%のセリシン。一代交雑種の飼育で繭に品質改良。座ぐり法→器械製糸法→器械座繰式→多条繰糸機(立繰式)→自動繰糸機(昭和30年)。

殺蛹乾繭の乾燥度40%。貯繭。本乾燥した繭の外気接触避ける。選繭、穴明繭、汚染繭、玉繭。煮繭。明治時代は繭層薄く、煮繰兼業。繰糸。索緒。みごほうき。抄緒。繭をすぐう。集緒。フシコキ。ボタン。より掛け。糸の抱合。共撚式とケンネル式。添緒。枠が回転している間に糸を繰枠に引っかける。糸つなぎ。つなぎ目2mm以内。揚げ返し。綛に仕上げる。周長150cm。

須坂製糸繁栄の特長は協同して揚げ返し工場を経営。東光社と俊明社。ねじ造り。重量綛70g。括づくり。6本ずつ5段、30本。2100g。30括60kgを1俵。国内用は1俵16括34kg。自動繰糸機は綛140g〜210g。1俵60kg。

生糸の3大目標。繰り糸量。糸量。糸質。繰り目。一定時間の生糸の繰り糸量。糸量は糸目。原料繭からの生糸の重量割合。多条繰り糸機(立繰式繰り糸機)御法川直三郎、明治30年頃研究、片倉製糸昭和2年採用。回転を遅くして、糸質向上。

自動繰り糸機。昭和25年片倉製糸k8A型。グンゼ式、恵南型。昭和29年プリンス自動車(立川飛行機・富士精密工業)10C型。ニッサン自動繰り糸機。HR1型、2型、3型。1人1日15kg。繊度感知器の繊度偏差。

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