定年後の読書ノートより

夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録―V.E.フランクル著、みすず書房
この本の前半はナチス強制収容所とは一体どんなすごいことをやっていたかを過去の詳細な実態報告から始っている。読者は身を震わせてこの章を読み進まねばならない。

1200万人という膨大な人間が、ナチス強制収容所で組織的に虐殺されていった。先ずナチスに真正面から立ち向かっていったコムニスト達。そしてヒットラーが民族撲滅を謳ったユダヤ人、その他ナチスに少しでも反抗的態度を示した一般市民を片っ端から検挙し虐殺していった。ユダヤ人に至っては民族の1/3が、ナチス強制収容所で虐殺された。しかし当時のドイツ一般国民にはこの残虐の実態をいっさい知らされていなかった。勿論ナチスの恐怖政治は例え強制収容所の実態を知らされなくとも、誰もが当然予想できたことではたったが。

殺し方はチクロンB使用によるガス室、何の医学的目的もない人体実験、無差別な一斉銃殺等ありとあらゆる方法での集団虐殺が常時行われていた。その数はアウシュビッツ強制収容所の例では、毎日1万人以上の人間が虐殺されていたという。勿論囚人管理も残虐を極め、敗戦間際の強制収容所では餓えに苦しむ囚人達が虐殺された囚人死体にかぶりつき餓えをしのいでいたと報告されている。これらの強制収容所はヒットラー命令のもと、極めて組織的に統括されており、ヨーロッパ全域で強制収容所の数は1000を超していた。貨物列車で運ばれた囚人は、直ちに裸にされ、選別され、労働に適さない婦女子、老人子供はそのままガス室へと裸足で歩かされ、収容所一帯は人体焼却の悪臭が常時立ち込めていた

そして、

精神科医師フランクル博士のアウシュビッツ強制収容所での生活体験が語られる。貨車から下ろされた囚人は、ドイツ将校の前に整列、彼の右手人差指の動き一つで、そのままガス室か、強制労働かが決まる。ガス室に向かった人間は、裸にされ、消毒の為のシャワーと称して強引に部屋に閉じ込められ、殺されていく。

囚人たちは恐怖の為、先ず収容所ショックに落ち込む。彼等は総てに無感動状態がやってくる。囚人は感情昂奮を自分の中で殺してしまう。死をながめても、人はもはや心を動かすこともなくなる。生命維持という最も最低な原始的な関心以外に彼等は他に何の関心も示さなくなる。

心の活動状態の減退停止、心の冬眠が始る。しかし一部の人間、特に精神の内面を大切にしている人間だけは、すなわち繊細とも評されるような人間だけは、しばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活により耐え得る。それは恐ろしい周囲の世界から精神の豊かな内面へと逃げる道が開かれているからである

著者フランケルも収容所入口で引き離された最愛の妻を目にうかべる瞬間だけは、すべての現実を忘れ、自分は今も生きていることを実感する。彼と同じように、小さな自然を愛する人、身近に芸術を愛する人、そしてユーモアをもって生きている人は生きる力を自ら生み出すことが出来るとフランケルは観察する。

収容所囚人心理を常に客観的に把握しようと努めた著者は、収容所の恐怖の中で精神的、人間的に崩壊してしまう人間は、収容所の恐怖の世界に呑み込まれ自己を失い、最終的的崩壊に到達させられていまうという。しかし、内面的拠り所を自分の精神の中に持ち続けられる人間は、この恐怖に耐え抜ける。では内面的な拠り所とは何だったか。それは自己を倫理的な高みに飛躍させようと努力する気持ちの持ち主であり、この気力こそ生きる拠り所になる。倫理的の飛躍とは何か、それは未来を信ずること、未来を放棄しないことだ。と著者はいう。

この本の最後には、強制収容所の残酷な写真が載せられている。この写真に目を背けないで下さい。1200万人の声がそう訴えているように、私には思えてならない。

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