定年後の読書ノートより

野分、夏目漱石著、漱石全集・岩波書店
ストーリは、教師上がりの貧乏文学士・白井道也と胸を患っている作家志望貧乏青年・高柳周作と高柳をいつも大切にしている大富豪の御曹司・中野輝一の3好青年(恐らく3人共、話の筋より東京大学文学部卒業と見受けられる)が織り成す3角形の人生模様の中に、如何に生くべきかを基調に、自己の知識に誇りを持って生きるとはどういうことなのかを読者に訴えていく。

白井道也の経歴が面白い。越後の中学では金力と品性必ずしも一致せずと講演して、町から追い出され、次に九州の学校では、金の力がすべてとする地元実業家連に白井は簡単に放り出され、最後に中国辺の田舎中学校で、旧藩主授業参観日に深く頭を下げなかった白井は、教壇を追い出されたという豪傑。この間、「坊ちゃん」の顛末を思い出して、この小説は「坊ちゃん続編」かと大いに期待し読み始めてみたが、「坊ちゃん」が陽ならば、「野分」は陰であり、とても「坊ちゃん続編」なんかではなかった。

すなわち「坊ちゃん」は太陽がさんさんと輝く松山での愉快な青春喜劇、「野分」は光を斜め後ろから受けた人間イキザマの陰の部分がはっきり映し出された深刻な話になっている。しかも主題である人間如何に生きるべきかの難問を決して茶化すことなく、それなりに真正面から取り組んでいる。

台頭する有産階級の仲間入りはとてもできない自覚している貧乏文学士が、人生の幸福とは経済的な金銭力がすべてでないと説き、金が出来たからといって人間にとって大切な知識がついたわけでもないのに、どうして世の貧乏人は金持ちに頭を下げねばならないのかとの聴衆に主張絶叫する。

しかし、21世紀に生きる我々からすれば、その主張たるや、立身出世を風潮した明治文人達の偏狭な観念的発想に過ぎず、当時の人々はなんと社会科学的階級意識は幼稚なものであったかと、今にして再認識する次第。

とはいっても、夏目漱石は「坊ちゃん」や「我輩は猫である」にみる、社会の深刻な問題などに無関心を装い、読者層に迎合した陽気な作品を発表し、結局は人生の根本問題を避け続けているかと誤解してきた自分が恥かしい。夏目漱石は当時の自然主義文学の主題である社会的問題にも、漱石なりに真剣に取り組んでいたことを知り、あらためて自分の漱石文学の無知を恥かしく思った。もっと漱石を知らなければ、自分は漱石を語る資格は無い。

ここをクリックすれば、読書ノートの目録に戻れます。