定年後の読書ノートより
座談の愉しみ(上・下)ー「図書」座談会集―岩波書店編集部編、岩波書店
対談―大江健三郎対柴田翔(1981/4)

柴田

中野重治の「甲乙丙丁」は、宮本顕治氏をモデルにしたらしい人物吉野が、若い時の友人としていかに魅力的であったか、そしてそれが共産党という組織の中で、どんなにその姿を裏切っていったか、その変化を中野重治は道徳的な欠陥として糾弾しているけど、問題は、魅力的な人物でさえも変っていく、その過程と必然性のほうではないか。

それは堕落であると同時に成長であるのではないか。中野は政治にコミットして、組織と人間のメカニズムを観察し、経験したはずなのに、組織の中枢で変っていく悪しき人間と、組織の末端で良心を守り抜く人間とを二元対立で描いている。中野の倫理性がかえって自分の経験を見えなくしてしまったのではないか。

中野は吉野を道徳的に糾弾することで、その裏に理想的指導者像を要求している。それは人間像の偽造を呼び出して、結局スターリン賛美みたいなものに結びつけていないか

大江

中野はどうして理想的共産主義的人間としての吉野を創造しないのだろうか。吉野に自己正当化の機会をこの作家は与えていない。組織に由来する理想像の崩壊の理由を、中野が正当化して書いてない、あるいは判断を留保した上でもそこを書いていないのは良くない。

柴田

吉野も理想的人間では有り得ないのは当然であって、その上で組織の指導者としての責任をどう果たしたか、そこを見極めて欲しかった。

大江

中野は個人のもつ一面性を乗越えて、総合的な状況把握が必要なんだね。

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