定年後の読書ノートより

社会の法則的発展と人間の働きかけ、田代忠利著、雑誌「経済」2月号
カール・ポパー(1902〜1994)はユダヤ人追放によりオーストリアを追われニュージーランドへ移住した学者。1938年「開かれた社会とその敵」を執筆、1945年出版。その他の著作は名古屋市立図書館で調べたところでは見当たらない。その第2部は約5百ページの難解な本だった。彼はこの本の中でマルクス批判を展開している。1938年という時代背景を考えると、その考察は時代を先取りした卓見というべきであろう。氏の主張は次の如し。

人類は自由と民主主義を求めて進歩してきた。しかし労働者の貧困化、大恐慌はやがて資本主義を崩壊させ社会主義へと移行する。その歴史的必然性を主張するに際し、マルクスは空想的社会主義者のユートピアを否定せんが為、あまりにも科学的であることを強調しすぎた。その結果人間は経済にあやつられたあやつり人形の如き存在に描きあげ、「歴史信仰」になっていないか。資本主義は本当に窮乏化するのか。現実では窮乏化するどころか、民主主義の前進によって資本主義のもとで窮乏はなくなったではないか。と。

ポパー氏の見解に対し、田代氏の論文は次の如き反論。

窮乏化とは、社会的な欲望の水準に対して労働者の生活水準が追いつかないことであり、貧乏とは同意語ではない。 資本主義は労働者の生活水準を向上させたが、生活向上と引替えに労働者を新たな搾取の対象においている。

人間はどんな立場であれ、社会に働きかけている。そのベクトルによって社会発展の流れは変化する。社会主義への移行の道筋とそのスピードは、社会発展をめざす人間の働きかけが決定していく。社会発展の法則は、その社会の働きかける人間との関係において交互に両者影響し合い合う。

資本主義の一路崩壊論を唱えたスターリンの悪影響そして俗流マルクス理論の悪影響を受けたポパー氏のマルクス批判論理には一面性、機械論的欠点がある。

ポパー氏は社会進歩への人間の働きかけを強調したいが為に、マルクスを「歴史信仰」と批判したのであって、マルクスの理論的帰結をきちんと学べば、ポパー氏も社会発展の複雑さをきちんととらえることが出来るし、人間の社会への働きかけの重要性をマルクス理論の中に見つけ出すことが出来たのではないか。すなわち、

資本主義から社会主義への移行は、それぞれの社会によってどう現われるかは、資本主義の発展段階と階級闘争の水準によって全然異なる。即ちマルクスの理論を正しく学べば、ポパー氏のような機械論的な誤りから、我々は自己を正しく導くことが出来るのだと田代氏は結論する

<私の読後観>

かってこうした反論は、初期の先覚者以来、相手の非を責め、悪言罵倒を被せ、読む者をして黙らしめる雰囲気が一貫してあった。しかしこの田代氏の反論は違う。何故論者が「歴史信仰」という言葉でマルクスの科学性に異議を唱えたかを、田代氏はポパー氏が人間活動の可能性を強調したかったからだと相手をきちんと配慮して反論している。こういう論文は今までにはなかった。勿論この論文でもカール・ポパー氏の機械論的欠点を指摘するに際し、スターリンや俗流マルクス主義の文献を引用している誤りを激しく糾弾しているが、かって「経済学教科書」や「哲学教程」等学生時代随分薦められた教科書は、窮乏化や、恐慌による混乱が革命の発火点になると書いてあったし、そう信じてきたのに、いまやそれも簡単に否定されてはちょっと我々もいい加減にしてくれと言いたくなる。要するに、マルクス原典だけは大丈夫だが、それ以後の幾つかの過ちの文献をそのまま信じてはいけないと言う事なのか。少し勝手が良すぎると言いたくなる。

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