定年後の読書ノート
ロシア語のすすめ、東郷正延、講談社現代新書
ウズベキスタン出張前のたった1月間の促成ロシア語会話ではあったが、これで殆ど現地での意志疎通は問題無く出来た。同行した現地の通訳サフィーナさんからも「西川さんのロシア語発音は正しいですよ」と誉められた。速習ロシア語でも旅行は出来る、そんな自信をもった自分は、次はロシア語の微妙な表現変化をも理解していこうと、帰国後早速NHKラジオ講座でロシア語学習を開始した。

そんな学習意欲盛り上りの中で、すでに表紙がすっかり古くなったこの新書版は古本屋の店先で百円を出して買った。

「タバリーシチ」なる言葉を擁護して著者曰く。ソ連では上下関係が革命以降なくなり、「タバリーシチ」という共通の言葉で呼び合えることが出来ると。しかし19世紀、ロシア文学全盛時代のトルストイやドフトエフスキー等の小説では、名前が複雑すぎて覚えられない。そこで先ずロシアの名前の付け方をこの本で詳しく学んでみた。

名前=名+父性+姓の3つから成る。名=洗礼名、父性は父の名前から名詞を形容詞にするときの語尾変化に準じて変化させる。語尾がeлの父性の語尾は、男児ならлoBич、女児ならOBHAを父性の最後に付ければ良く、語尾がлийの父性の語尾は、男児ならbeBич,女児ならbeBHaの語尾を父性の最後に付ければ良い。日本でいえば「芳吉」の息子が「芳さんちの武雄」と言われるようなもの。そして名+父性=敬称となるようで、これがミスターに相当するらしい。だから名刺を見たら、「名+父性」を先ず記憶せねばならない。

例えば、先生に相当するロシア語「Yчиteлb」には敬称的語感はなく、あくまで敬称は「名+父性」であり、これを呼びかけの言葉にせねばならない。さらに愛情のこもった呼びかけにはまたいろいろあって、「mapия」の愛称は、その愛情程度によって、「Maшa」、「Maшeнbka」,となり、さらに「Mapycя」、「Mapyнa」,と変化することもある。ロシアの小説を読むと登場人物の名前がややこしくて敵わないという声を良く聞くがこの人は、小説の読み方が浅いのであって、逆にその名前の呼び方で、登場人物の作中での人間関係が微妙に読み取れるという面白さがあり、名前こそはおろそかに出来ない。

さらに、父性をつけない呼びかたの陰に隠れた、微妙な感情は、トルストイの「復活」のなかに、カチューシャを養女にしようとした妹はカーチェンカと愛称を呼び、あくもでも小間使いのままでおこうとした気が強いオールドミスの姉は「カーチカ」と卑称を通したいとし、その間の中間的な呼び名が「カチューシャ」であったとトルストイは小説の中で名前の由来を説明してくれている。愛称と卑称の微妙な差異を表現した小説家の表面には出てこないご苦労をきちんと読み取ってこそロシア文学をきちんと味わうことが出来るのである。

名前一つ取り上げてもこうした微妙な人間の感情表現が満ちているロシア語の世界、味わいを深めていけばいくほど、ロシア人の素晴らしい心のひだを知っていくようで、言葉とは面白い、外国語を学ぶことは人間を知って行く上で貴重な情報力になると実感する。

ここをクリックすれば、読書ノートの目録に戻れます。